2007年10月06日(土) |
「善き人のためのソナタ」 |
2006年ドイツ 監督 フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマハク キャスト ウルリッヒ・ミューエ トーマス・ティーメ セバスチャン・コッホ ハンス・ウーヴェ・バウアー マルティナ・ゲティグ ウルリッヒ・トゥエル
ドイツがまだ東西に分かれていた時代。 旧東ドイツを支配していた国家保安省(シュタージ)の優秀な局員ヴィスラーは、劇作家ドライマンと彼の恋人でもある舞台女優クリスタが反体制的であるという証拠を掴むよう・・命じられる。 ドライマンの部屋のありとあらゆる場所に仕掛けられた盗聴器、屋根裏部屋での昼夜を問わない監視・・。そしてヴィスラーのもの言わぬ冷たい表情。
冒頭のヴィスラーのけっして眠らせない取り調べのやり方や、ドライマンの友人イェルスカへの弾圧・・など。 シュタージの怖さ、恐ろしさが、悔しいほど伝わってきました。
そんな優秀な局員であったヴィスラーが・・何故、自分のしていることに疑問を持っていったのか・・その気持ちの変化は、はっきりと言葉で表されたり、表情に出ていたりはしませんでした。 ほとんど変わらない・・何を考えているのだろう・・と思われるようなヴィスラーの表情。けれども、たとえば、最初にクリスタの舞台を見たときの彼の目に現れた表情や、自暴自棄になりかけたクリスタに「ファンからの言葉」を伝えた時の顔。 ドライマンの部屋から持ち帰った本を読むシーンに。そして、盗聴器から流れてくる「善き人のためのソナタ」に聞き入る彼の表情の中に。伝わってくるものがあるんですね・・静かな目に込められた力でしょうか。
ドライマンたちの芸術への思い、彼らの愛ある生活・・を知ることで、心の中にこれまで知ることの無かった違う人生、生き方が・・ヴィスラーの心に芽生えてきたのだろうか。プレヒト大臣の私欲にからんだ監視・・を疑問に思う気持ちもあったのだろうか。 いろいろなことを思う中で、私が忘れることが出来ないのは、ドライマンの舞台(クリスタが演じていた)を見たプレヒト大臣がドライマンに言った・・「君はいまだに人が善である・・ということを信じているらしい・・」(ちょっと違うかもしれませんが・・こんな感じの)。 この言葉が、後の展開や、最後のシーンにずーーっとつながっているようで。とても印象的でした。
最後まで緊迫感溢れる展開、ドライマンとクリスタの想い、プレヒト大臣とヴィスラーの上司も(憎らしいけど・・憎らしいけど上手いわねぇ)・・演じる方々も素晴らしかったですね。
流れてきた「善き人のためのソナタ」が、意外なほどに地味なメロディで、決して華やかであったり、重厚なメロディでは無かったのが、逆に私にはラストで(通りを一人で仕事をしながら歩いていく)ヴィスラーの姿に重なるものがあるような気がしました。善なるものは、決して、派手に見せびらかすものではない、自分の心に恥じない・・静かな力だ・・と。 でもだからこそ、そのヴィスラーの善が最後にあんな形で返ってきたことがとても嬉しかった。最後の言葉に思わず涙が溢れました・・
統一後のドイツ・・でも、シュタージの監視下で、友人や家族に裏切られ、また裏切ったことで人々の心には長く、重くて苦しい気持ちがあったことでしょう・・ 自身も実際に監視下に置かれていた・・という体験を持つミューエさんならなおさら(54歳の若さで亡くなられたと伺いました。素晴らしい作品をありがとうございます) 人々が口を閉ざし、隠したい過去であった・・シュタージの監視下。 けれども、変わってゆくヴィスラーの姿に、人の善を信じる気持ちを持ちつづけたい・・と願う、そんな思いが伝わってくる・・素晴らしい作品でした。
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