2006年03月17日(金) 【 中毒奇譚:3 】 |
【注意書き】
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【店主の経営メモ:本日のお客様──舌っ足らずな子供】
ほくほくと。箱を抱えて店を出ていった客を、店主は微笑みと共に送り出した。 「ありがとうございました」 店主の機嫌は良いようだった。何故なら、今の客がいわゆる『上客』と呼べる存在だったからだ。 「……まさか在庫を全部買って下さるとは」 また入荷をしておかねば、と店主はメモ帳を手に取った。他に仕入れる物はあっただろうかと思いを巡らせながら、ペンを走らせる。 と、店の扉が再び開いた。 「?」 立て続けとは珍しい。店主が顔を上げると、そこに立っていたのは少し困ったような顔をした少年だった。少し拍子抜けした店主は、それをどうにかごまかし挨拶を投げかける。 「……いらっしゃいませ」 「ねぇ」 その少年──7歳くらいだろうか──が口を開いた。 「おつかいなんだけどね、ここにはある?」 「一応一通りの物はありますよ? まぁ、とりあえずお掛けになっては」 店主が椅子を勧めると、少年はよじ登るようにしてそれに座った。林檎ジュースで良いだろうかと思いながら、店主は足下の冷蔵庫を開ける。 「して、お使いの品とは」 「タバコなんだけどね、きょうはどこもうりきれてるの。かってかえらないと『はがいじめ』にされるのに!」 ばんばん、と少年はテーブルを叩きながら理不尽さを訴えた。羽交い締めとは凄い父親もいたものだ、と店主は慰めの意味も込めて少年にジュースを差し出す。 「煙草でしたら揃っておりますよ。お出ししましょうか」 「ホント!? ありがとう!」 ジュースへの礼も含め、少年は安心したように笑った。釣られるように店主も微笑む。 「ええ。ちなみに銘柄は?」 「えーと、『まるめんらいとのそふと』」 店主は微笑みのまま固まった。心の中で『困りましたね』と呟いた。 何故なら、 「……残念なお話なのですが……それは先程のお客様が、あるだけ買われてゆきました……」 少年の丸い目が、一気に怪訝そうに細められた。
「ぼ、ボックスなら……」 「そふとじゃないとイヤなんだってさ! あえてちょっとつぶしちゃったりするのがいいとか、ヘンなこだわりもってて」 「ライトではなく、普通のメンソールのソフトでしたらございますが……」 「こないだ、まちがえてかってったら、ホンキのでこぴんもらった」 酷い父親だ。物騒な昨今、こんなところでまで幼児虐待の片鱗を見るようになるとは。店主も淡泊な性格であるとはいえ、人の子である。心底少年に同情した。 「……ケーキもありますが、食べますか?」 「たべる」 「せめてものお詫び、ですけれどね」 再び足下の冷蔵庫を開けて、大事にしまっておいた箱を取り出した。この店のケーキは非常に美味であり、今日の店主の楽しみであったのだが。苺の乗ったタルトを取り出し皿に載せて差し出すと、少年はきらきらと目を輝かせた。 「いちご!」 「ええ、お好きでしたらそれは幸いです。どうぞ」 本心を述べれば後ろ髪を引かれる気分ではあったのだが、何でも出てくる店の店主としてのプライドの方が勝ったようだ。店主は本心を表情に出さずに、少年がケーキを食べる様子を眺めていた。 「おいしいね、ありがとう! あーもうオレ、かえるのやだー。どーせね、かえるとね、まいちにちがうおんなのひとで、うらけんもらうの」 「申し訳ありません、よく分かりませんでした」 「よのなかには、しらないほうがいいコトもあるから、それでいいとおもうよ」 どこか達観した子供であるな、と店主は思った。もぐもぐとケーキを頬張る少年は、その味の美味しさと、ぼやいている内容の複雑さで浮かべる表情に困っているようだ。 「左様ですか……まぁ、なんと言いますか……次は多めに入荷しておきますので。お約束しますよ」 「ありがとう。こんどまた、みつからなかったらくるね。そのときは、もらいっぱなしもわるいから、おかあさんがつくったおかし、もってくる」 本当にしっかりした子供である。こんな子供を粗末に扱う父親とは──店主は世の中の理不尽さを感じずには、いられなかった。
──数日後。
「ありがとうございました。またのお越しを」 店主はにこにこと、今しがた出ていった客を見送った。 「良いお客様です……」 扉が閉まってから嬉しそうに呟く。これは完全に上客メモに加えねば、とペンを取り出した矢先の事だった。 「こんにちは!」 聞き覚えのある声がして、扉が開いた。店主は顔を上げると『おや』と呟く。 「どうも」 「このあいだは、ありがとうございました! てんちょうさん、マフィンすき?」 「ええ、好きですけれど。まずはお掛けになっては?」 それは例の少年だった。片手に小さな紙袋を持ち立っていた。椅子に座るように促すと、やはりよじ登るようにして座る。今日も林檎ジュースで良いだろうかと、冷蔵庫に手をかける。 「あのね、これ、おかあさんのつくったこうちゃのマフィン。てんちょうさんに」 「それはご丁寧に、有り難うございます。お母様にもお礼をお伝え願えますか?」 「うん。あ、ありがとう」 店主が手際よく用意したジュースを差し出すと、少年は相変わらずの子供らしい礼儀正しさでそれを受け取った。 「今日はわざわざこれを届けに?」 「むしろそうならいいんだけどね、またおつかい」 「それは良かった。今日はまだ在庫は山程に」 奥の部屋に積まれたカートンを思い浮かべ、店主は勝ち誇りたい気分で微笑んだ。しかし、 「ううん、きょうはタバコじゃないの」 「……おや」 「あのね、じゃがりこない?」 何故。 それが、店主がまず思った事だった。 「……お好き、なので?」 「うん、だいこうぶつ。ヒマなときにくわえているのは、タバコかそれか、ってかんじ」 想像すると面白い。しかし、それよりも重要な事が、店主にはあった。 「……ちなみに、何味をご所望でしょうか」 「んーとね、サラダ味」 店主は思わずうなだれた。この少年のタイミングの悪さには、涙を誘うものすらある。 「非常に、申し上げにくいのですが……サラダ味は先程、在庫分を全て買われてしまいましたねぇ……毎回申し訳ないです」 そういう事だった。 少年はそれを聞いて、前回同様に目を細めかけたが──やめる。首をフルフルと横に振って、そして少々気落ちをした声であったが、言った。 「ううん、てんちょうさんをせめるコトでもないから……でもきいてよ! このあいだね、オレがもどったらね! なんだかきゅうにサンポしたくなって、ついでにタバコかいしめてきちゃったとかいわれたんだよ! オレのくろうってなんなのさー!」 「おや……難儀な話だったのですね……」 酷い父親ではありそうだと思っていたが、余程のようである。自らお使いに向かわせた子供を無視し、気分で動き、そして自分だけ満足と言う話。 「じゃがりこもさ、またいろんなとこでうりきれてるし! オレがなにしたってのさ!」 「お客様は悪くないですよ。悪いのは世の中です」 思わずそんな言葉を投げかけてしまう程に、店主は少年に同情していた。今日もケーキを出してやるべきか。そんな事すら考える。 「強く生きて下さい。きっといつか、お客様は報われます」 「だといいな……」 ずるずるとテーブルに身を預ける少年。少年が背負っていた熊のリュックも、心なしかくたりとしているように見える。
……それにしても、煙草とじゃがりこを好む父親、とは。 珍しい嗜好である筈なのに、近い位置に2人もいるものなのだな、と。
店主は最近獲得した上客の事を思い出しながら、少年の肩を叩いてやった。
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