いぬぶし秀一の激辛活動日誌

2012年07月06日(金) 無関心社会と無責任社会

 今日は、10時半から党本部において、支部長政策研修会が行われた。中村メイコさんのお嬢様である、神津カンナさんの講演である。そのことは後日書くとして、党本部に向かう途中に起きた「事件」から、現代の日本がかかえる病巣を報告する。

 朝10時前の蒲田駅東口。大手証券会社の建物の隣にある居酒屋の前の公道上に、中年の男性が倒れていた。道行く人々は、まるで無関心に通り過ぎて行く。「火中の栗」をあえて拾う性格の私は、素通りができない。

 といって時間がない。そこで、蒲田駅前交番に通報して警察官に行ってもらうことにした。この男性は、酔っぱらって寝ていたのかもしれない。が、そうであっても急性アルコール中毒であれば命の危険がある。

 公道に人が倒れている、という絵柄が蒲田の繁華街では「日常」になっているのかもしれないが、それを誰も気にしない。という大都市の無関心構造が恐ろしい。

 そういえば、いじめが原因と思われる大津市の中学生自殺事件で、同級生に行ったアンケートでは、15人の同級生が「いじめがあった」「先生は見て見ぬふりをしていた」「自殺の練習をしていた」と回答していたそうだ。

 一義的には、担任の教員の問題だが、怖いのは15名もの同級生が、いじめの事実を認識していながら、何もしなかった点だ。怖いかもしれないが、いじめっ子に止めるように促す勇気ある同級生はいなかったのだろうか。

 自分の親に相談して、なんとか助けようとした同級生はいなかったのだろうか。そのことが残念だし、怖いとすら思えるのだ。自分のこと以外は無関心。

 例えば「絆」という言葉で、被災地でボランテイアをしたり義捐金を贈った。でもそれは「自分がいいことをしている」という、自己満足ではなかったのか。被災地のガレキを身近で処理するとなると「絆」は、放り出して「放射能が心配だから反対」と叫ぶ。

 今まで散々、原子力発電所の電気で生活しておきながら、マスコミや世の中の風潮で「脱原発」と。主体的な意見は持っているのだろうか。

 そんな沈んだ気持ちで、JR蒲田駅のホームに立つと、ホーム下の路上に長蛇の列だ。いったい平日の朝、なにがあるのだろうか?と、列の先頭に目を移すと、なんとパチンコ屋の開店を待つ人々なのだ。

 朝鮮総連の資金源、すなわち北朝鮮の資金源でもあるパチンコ屋に、平日の朝から並ぶ人々。仕事はどうしたのだろうか。もし、この人々が、生活保護や失業手当をもらっていて、「仕事がない」と言っているのだとしたら、もはや日本は精神構造から崩壊の一途を辿っている。

 これでいいのか?日本!教育から変えていかねば、この無責任、無関心国家は変わらないだろう。


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