いや〜なんでこんなに長くかかったのだろうか。独立国家の安全を守る省庁が、ずっと「庁(Agency)」だったなんて。防衛庁が作られたのが昭和29年(1954)だから、なんと省昇格まで、53年もかかっている。いくらお役所仕事とはいえ、かかりすぎだろう。(いや、そうでもないか。区内の都市計画道路なんて、50年以上未着工は山ほどあるな)
防衛庁は、実は、内閣府の外局として存在し、防衛庁の外局として陸海空自衛隊があったのだ。例えて言うならば、海上保安庁が国土交通省の外局であるのと似ている。しかし、海保長官は純粋な公務員だが、防衛庁長官は国務大臣という点では、若干は上だったのかもしれない。
さらには、庁であるが故か、自衛官が在外大使館に「防衛駐在官」として出向する場合、その序列は、外務省職員の同年入庁組より後にされるのが通例だった。さらには、閣議出席の国務大臣でありながら、防衛庁長官は、国の安全について閣議を招集できない、というおかしな組織でもあった。
とは言え、最も大きな問題は、第一線で活動している自衛官の士気であろう。海外に出かければ「軍人」として尊敬の目で見られるのに、母国に戻れば「国内法上軍隊ではないが、国際法上は軍隊である‥」などという訳のわからない立場におかれ、その所属官庁は、Agencyとは情けない。
自由党が政権与党だった頃、我が上司、田村秀昭参議院議員(元航空自衛隊幹部学校長)を、初代国防大臣にしよう、という同志が多くいた。残念ながら、氏は現在、国民新党に在籍され、その夢は果たせなかったが、今日は、永年の念願に美酒を飲まれていることだろう。
そして、防衛省陸上自衛隊に所属する我がご長男氏。新婚ホヤホヤなのに、嫁を官舎に残して、本日から某県にある自衛隊の学校に単身で入校してしまった。まあ、現場の自衛官は、省だろうが、庁だろうが与えられた職務を誠実にこなすのみ。それが「国民の負託」に応える道だ。
おめでとう防衛省!ガンバレ、全国の自衛官!
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