いぬぶし秀一の激辛活動日誌

2006年06月05日(月) 政府方針に基づき、母校が廃止に!

 私の母校は些か変わっている。通称少年自衛官、正式には自衛隊生徒という制度を利用して高校を卒業した。これは、中学卒業の少年を4年間陸・海・空格自衛隊の学校で教育して、3等陸・海・空曹(旧軍の伍長)に任官する制度である。

 旧軍の幼年学校、予科練を模倣した部分もあり、次のような共通点がある。

呼称:自衛隊の階級では呼称せず、幼年学校等と同じく『○○生徒』という。
略称:幼年学校生徒のことを、陸軍では『カデット(候補生)』と呼んでいたらしいが、自衛隊生徒、特に航空自衛隊生徒の職種別コースの頭には、このカデットのドイツ語の略称である『KD』という記号がついていた。
服装:海上自衛隊生徒は、予科練と同じ7つボタンの制服である。

 と、非常に似ているが、大きな違いは、この学校を卒業しただけでは、幹部になれないことだ。旧軍の幼年学校は、ほぼ自動的に士官学校に進学できた。自衛隊生徒は、それぞれ提携している高校の生徒として防衛大学校に推薦枠はあるものの、エスカレーターではない。

 入学試験は、全国47都道府県の自衛隊地方連絡部において実施され、概ね30倍程度。各県のトップクラス進学校の水準が合格ラインであるとされている。私が合格した、昭和47年は、東京都内で航空自衛隊生徒合格は3名だったし、本年大田区からの唯一の合格者は、日比谷高校との併願で日比谷に行ってしまった。まあ、それなりに難関である。(よく2Chで、都や区の職員さんが、中卒いぬぶしとバカにして下さるので反論を‥)

 ところが、入学(隊)すると、通常の高校の授業以外の科目と、訓練に時間が費やされ、ついつい学力は急降下の一途をたどる。一般高校へ進学した中学の同級生、それも、自分より成績の悪かった連中が、有名大学を目指している姿を聞き、焦りだす。そして、入学者の半数近くが、辞めていく。ジュリアナを作ったり、コムスンを創業した折口社長も陸上自衛隊生徒23期から防衛大学校に進学し民間に出た一人だ。

 ところが、今日、防衛庁に勤務する同期生から、この制度が平成19年度で廃止になる、とのメールが来たのだ。(政府の総人件費抑制策として)

 現在、陸上260名、海上60名、航空50名が一学年の定員だが、この程度の人数ならいらない、と航空幕僚監部は判断したようである。三自衛隊の中枢には必ず『生徒出身』の人間がいる。そして、15歳からブチ込まれた『生徒魂』は、間違いなく、今日の自衛隊の基盤を作ってきたことは、自衛官なら誰しも認めるところだろう。

 しかし、いかにも費用対効果が悪い。入学者の半分が自衛隊に残らない制度というのは問題である。それには、防衛大学校に入学を保証する、または、部内幹部候補生として中級幹部への任官を約束するなどの、魅力ある制度にする必要がある。どうやら、陸上自衛隊はその方向で決定したようだが、我が航空は廃止だそうだ。

 母校がなくなるのは、実に淋しいことだが、その任務は終了したと思うしかない。まして、その学校の目的に副わず、民間に出てしまった私は、反対する資格もない。

 嗚呼、我が青春の証が消えていく‥残念


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