2003年11月23日(日) |
みんな、祝日には国旗を揚げようネ! |
私の父は、ごく普通のサラリーマンだったが、我が国の伝統文化や、それに基づく年中行事は必ず行ってくれた。七五三に至っては、確か全部やった思い出がある。つまり、3回やってもらったのだ。五月のお節句には、貧乏だったので、人形が買えず(多分)、二人で新聞紙で折った兜をかぶって、チャンバラをしたり、と兎に角、工夫を凝らしてくれた。
そんな父が、祝日になると必ず「国旗」たる日の丸を掲揚していた。昭和30年代後半から40年にかけての街でも、日の丸はそんなに多くはなかったが、祝日には国旗を掲げてお祝いする、という世界共通の常識を学んだ。
そして、父が他界し、15歳で飛び込んだ航空自衛隊では、毎朝8時に、君が代の演奏とともに国旗を掲揚し、これに敬礼。17時には、同様に国旗降下。基地内にいて、国旗が見えない場所にいる場合には「姿勢を正す敬礼」といって、起立気をつけの姿勢で、国旗掲揚塔の方向を向く。こんなことを日曜以外(祝日は国旗掲揚する)おこなっていたので、国旗は、私自身の生活そのものであった。
米国で、貧乏留学をしていた時代は、サンフランシスコの日本領事館や、遠洋航海で訪れる、護衛艦や巡視船に掲げられた、国旗に、日本国民としてのアイデンテイテイを感じたものだ。さらには、ヒッチハイクの時は、必ず、日米の国旗を振っていると、実に成功率が高いことも学んだ。
ところがだ。今の時代はどうしたのだろう。今日は、祝日だというのに、国旗が見当たらないではないか。この周辺で、国旗が掲揚されているのは、 あすこと、あすこの2件。そして、消防署と警察ぐらいだ。どうなっちゃているんだろう。我家では、一軒家に住んでいた時は、勿論竿付の国旗を掲揚していたし、マンション住まいの今では、100円ショップで買ってきた国旗を、玄関に掲揚している。当たり前のことなのに、いつのまにか、エセ平和教育のせいで、誰も掲揚しなくなっちまった。
自国の国旗、国歌を尊重できる、ということは、他国にも同じことが出来る、ということだ。どうか、心ある皆さん!祝日には国旗を掲揚してください。
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