雪さんすきすき日記
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2008年12月26日(金) |
「QUALIA2」のこと |
今日は職場で呑み会があったので、ゲームはお休み。
神奈川電子技術研究所の冬コミ新作が「QUALIA2〜evolve〜」ということを今朝知って驚き、デモムービーを見て期待がかなり高まった。様々な自機の外観や攻撃手段とか、鞭毛が生えたりいかにも単細胞生物というボスの外観とか、もう堪らないものがあるのだが。
「東方地霊殿」Lunaticのリプレイを拝見。笑うしかなかった。 で、ふと思った。散々描写に突っ込みが入っている「東方儚月抄」であるが、同じ観点からすればゲームの方が遥かに突っ込み所が多い筈である。例えば「地霊殿」でいえば、いつまで経っても終わりの見えない地霊殿や、溶岩の近くを飛んでも肺が焼けない主人公等である。これら「常識的に考えれば(便利な言葉だ)」違和感を感じる点も、ゲームではそれが演出として看過されている。何故か? 先ずはゲームと漫画で楽しみ方が全く異なるからという点が挙げられる。ゲームは能動的にプレイヤーが介在して目標を達するのが目的であり、その目標を達成するためのシステムや過程に違和感が無ければ大抵「演出」として許容されてしまう(逆に違和感を感じるとクソゲーという評価を得ることもある)。一方、漫画は受動的に内容の追体験(現実的が非現実的か、主観的か客観的かを問わず)をするのが目的であるため、その内容が自己の認識の許容範囲から外れると、途端に違和感を覚えてしまうといえよう。 そしてもう一つ、ゲームでは余計な点が述べられていないのである。前述の終わりの無い地霊殿は、もしかしたら同じところをぐるぐる回っているだけかもしれないし、溶岩と形容した背景も、もしかしたら溶岩ではないかもしれないし、仮に溶岩だったとしてもその熱の影響を受けない遥か上空を飛んでいるのかもしれない(となると、洞窟はその熱を十分に拡散するほど広い)。そして、その真偽は作者の意図を無くしては永遠に語られることは無い。一方、漫画の方は単純な描写ミスを除けば、いずれも作中で語られた事が全て事実として認識され、それが切っ掛けとなり矛盾が暴かれてしまっている。一般的に、状況を事細かに説明しようとすればするほど、綻びが生じる危険性が高まるように思える(SFなど最たる例であろう)。
ということで、だらだらと書き連ねて結局言いたいのは、ゲームは意外と表現の自由が利き、漫画(やそれに類する映像表現)は意外と制約が多くて大変だねぇということである。まあ、この辺りを上手く誤魔化すのも技術なのであろうけど。手品同様他の部分に目を向けさせようが、登場人物の能力を高く設定しようが、違和感さえ覚えなければどれだけ高く跳んでもどれだけ速く走っても別段問題無いのだから。
ということを考えると、ZUN氏の製作姿勢はやはり漫画や書物には向いていないのだろうなぁ、と思った次第。
だから、漫画とか小説とかは早いところ終わらせて、ゲームに注力して欲しいところである。
アニメとか以ての外(笑)。
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