雪さんすきすき日記
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2005年01月03日(月) 続・「東方萃夢想」のこと

 Easyにて全キャラクリア。幽々子嬢と紫は辛かった。

 今回の物語にもZUN氏の想いが込められていてとても興味深い。幽々子嬢など、まるでZUN氏の代弁者のようである。しかし、悲しいかな。私にはそれを理解できるだけの精神的土壌が育っていない。いや、理解しようという時点で既に間違っているのであろうか。本当は感じるだけで良いはずのことを、構造化、細分化、分析、その他様々な手法を用い、結果本来の意味を歪めてしまうこともあるので。

 鬼が幻想郷に居ないのも、その所業の所為であろうか。上海アリス通信で、鬼は人間の恐怖心の象徴であるとZUN氏は述べている。しかし、人間はその恐怖心を「克服」するため、鬼を「理解」して本来の意味を歪めた。結果、恐怖心は徐々に薄れ、それに伴い鬼もその存在が薄れていき、いつしか忘れ去られてしまった。鬼など最初から存在しないものとして扱われてしまったのである。
 恐怖心は必要である。それが無いと、破滅への道を容易く歩んでしまう。幻想郷に鬼が居ないというのは、恐怖心を忘れて傍若無人に振舞う人間の驕りに対する警鐘ととれはしまいか?

 もう一つ。PARADOXにて記されていた「鬼は排除された土着の民(という側面もある)」と捉えると、現在の日本の民族構造を見れば鬼が居ないことは明確である。かつて日本は様々な文化、価値観を持つ民族で構成されており精神的土壌が豊かであった。しかし、現在は事実上「日本国民」で一括りされ、文化も価値観も昔に比べて平坦で凡庸なものになっている。鬼が居ないというのは、この現状に対する憂いともとることができよう。

 いずれにしても、この作品における鬼というものは、ZUN氏の精神的な豊かさに対する想いを表してのではないかと思った次第。「夢違科学世紀」のあとがきも、モノが優先されココロを疎かにしている社会に対する強烈な皮肉に溢れていたし。

 なお、萃香については、容姿に幻想種的要素が多いので幻想郷に居られるのではなかろうか。あの容姿が恐怖心の象徴と言われても…(笑)。

 乏しい知識と不勉強のため、相変わらず狭い視点でしか物事を捉えられていない文章ではありますが、どうかご容赦を。第一、これを記している私自体、モノを優先する貧しいココロの持ち主でありますので…。


氷室 万寿 |MAIL
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