なってみて初めてわかる事(母親編) - 2002年07月17日(水) 小学校6年の時から、私は母のことをばばあ!と呼ぶようになり、母のいうことやること全てが気に食わない時期というのがあった。 反抗期なのか?そうではない・・。 見てしまったのだ・・・・父と母の夫婦の営みを・・。 家族はひとつの部屋に布団を敷き詰めて寝ていた。そして、偶然夜中に目を覚ました私の目に、薄暗い暗闇の中でうごめく2人を見てしまった・・。 母が上にのってうごめいている姿は・・・あまりにもショッキングな光景だった。そして、まだ何も知らない私には恐ろしく気味の悪いものだった。 その翌日から母に対する態度が変わったのだ。その反抗的な私の行動は、今思うときっと母を苦しめていたのだろう。 大人になった私、親となった今では、ほんとうに母には申し訳ないことをしたと思っている。 さて、そんな母親という存在は子供の頃には、いるのが当たり前、子供の面倒みるのが当たり前の存在であった。日常のありふれた光景の中で、母親のすることは私にとってすべてあたりまえのことだった。 しかし、親のもとを離れ、住み慣れた家を出た時からすこしづつ、今まで母が私にしてきてくれたことは当たり前のことではなく、ありがたいことだったと気がついた。 自分が嫁になり、母にならなければ多分心底、母親に感謝するという気持ちは芽生えなかっただろう。 子供の頃の母の日は、言葉だけの「ありがとう」で、心からの「ありがとう」ではなかったし・・・。 でも、親から離れてからは、素直に心から「ほんとうに、ほんとうにありがとう」と、感謝の気持ちでいっぱいになる、文字どうりの母の日である。 とくに私には3人の息子がいるが、最近でこそあまり実家には行かなくなったが、小さい時はよく遊んでもらったり、泊めてもらったりして面倒をみてもらっていた。 そういうふうに子供とたまに離れられたから、私は育児ノイローゼや幼児虐待などならずにすんだのではないだろうかと思う。 そしてまた、嫁にだしてからの親の大変さも身にしみた。 長男の嫁になった私は、もちろん同居だった。当然親が一緒だと、しきたりも結構うるさかったりする。まだ、主人の両親はよい人達だったので、嫌味をいわれたり、親の影口をたたかれたりするようなことはなかったからよかったが、ちょっと体裁を気にするところはあったのかなと思う。 妊娠すると、「戌の日」に紅白のさらしを実家から送る。そして、子供が産まれると、今度は「破魔矢」「天神様」「節句の祝い」・・・いろんな行事が出てきて、実家から色んなものが運ばれてくる。 娘が肩身の狭い思いをしてはいけない・・。そういう気持ちで、いろんなものを選んでくれる。ほんとうに、嫁の実家は大変だ。なんでこんな習慣があるのかとうらめしくなってしまう(笑) それでも、親は自分の娘の為に手元を離れても世話をやいていかなくてはならない・・。ほんとうに親って死ぬまで大変だわ。。 うちは男の子ばっかりだから、成人したらとっととひとり立ちしてもらおっと♪ な〜んて、気楽な事もいってられないかな?(笑) -
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