先々週の金曜日、TVをつけっぱなしにしていたら日本アカデミー賞(本 場のアカデミー賞ではなく)の番組をやっていて、見るとはなしに見て いたら、ふと、自分にとってのいい映画っていうのは、監督ないし製作 者側の方向性が感じられる映画なんだなあ、という事に気がついた。
すなわち、監督のこういう映画が撮りたかったんだ、という気持ちの ようなものが素直に感じられる映画っていうのは、印象に残りやすいが 逆に、○○製作委員会が権限を持っちゃって、ああしろこうしろと ちょっかいを出してきて、なおかつ監督自身が雇われ監督の場合には その映画の制作費の大小にかかわらず、見た後の印象が薄く、記憶に 残りにくい。
ついでにいえば、それは監督だけでなく、現場のスタッフや演じる キャストも同じ方向を向いて作られたんだろうな、と感じさせる映画の 方が、見た後の印象は強くなるのかもしれない。
具体的な例であげると、例えば「踊る大捜査線」の第1作では、脚本、 スタッフ、キャストともこういう映画を作りたい、という方向性が 定まっていた気がするけれど、それに対して2作目では、そのスタッフ キャストの方向性がまとまらなくなってしまった印象がある。 興行収入的には、第2作の方が上で、プロデューサーをはじめとした 製作委員会の方々はウハウハなのかもしれないけれど。
また、ベタな例であげれば、アニメ「機動戦士ガンダム」の第1作と第2作 以降では、やはりスタッフ同士の方向性のまとまりが違う分、今でも 第1作は強い印象があるのかもしれない。その後のオリジナルビデオ 作品ではいい作品もあるのかもしれないけれど、やっぱりスタッフの まとまりという意味では、第1作が一番強かったんじゃないのかな。
でね、多分○○組という形で称される事のある名監督、例えば黒沢明 であるとか、小津安二郎であるとか、の場合って、その監督の考えた 方向性にスタッフキャスト共に浸透し、皆が同じ方向を向いている事が 多いから、評価が高いのかもしれない、と思うのだ。
監督を意味する英語のディレクター(Directer)だって、元々は方向を 指示する人、転じて指揮官、監督という意味になったわけだし。
最近の作品でいうなら、「ゆれる」とか「明日の記憶」などは そんな感じで方向性が感じられて、見てみたいなあと思ったし(劇場公開 中にもそう思ってはいたんだけど)。
今後自分が映画を見て行くときの指針として、面白い/面白くない、 人気作かそうではないか、以外に、いい意味でも悪い意味でもその作品 の方向性が感じられるかどうか、っていうのを基準にしてみるのも 面白いかもしれない。
もしも、個人的にこの方向性はイヤなあ、と思う作品であっても、作品 の完成度は高い場合もあるわけだし。 そういうことを考えながら映画を見ていくと、自分の好き/嫌いの方向性 みたいなものももっとハッキリしてくるのかもしれない。
で、この方向性、という概念は映画に限らず、いろんなものに応用でき るんだろうな、と思うのだ。
安倍政権や、教育基本法の改正に対して、なんかどうでもいい、という 感じが漂ってくるのは、○○製作委員会的な、船頭多くして船、山に登 るではないけれど、誰にも正解がわからず、皆がてんでバラバラの方に 向かって方向性が定まっていないせいもあるんじゃないかな、という 気がするし(それは民主党も同じわけだが)。
また、自分個人についても、この方向性って結構重要なんだよな、 と思うのである。 多分、自分の中で考えがまとまらずに右往左往している時って、どっち の方向を向いていいのかわからない、というよりも、自分の心の中に 自分がどっちを向いているのかを感じる方位磁針みたいなものがある って事自体を忘れているんじゃないかな、という気がするし。
まあ、そんな感じであっという間に2月が過ぎていってしまったので、 今年の残りの時間は、自分の方向性というか、こころの方位磁針が どっちを向いているのかを感じながら行ってみたいと思います。
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