パラダイムチェンジ

2006年09月01日(金) 狩人と犬,最後の旅

毎月1日は映画ファンサービスデー。
ということで今回見てきたのは「狩人と犬,最後の旅」
カナディアンロッキー、ユーコン川のほとりに住む、狩人の生活を
つづった映画である。

この映画を見た感想を一言でいうなら、「犬って本当に人間にとって
大切なパートナーだったんだなあ」ということ。

主人公のノーマンは、妻?のネブラスカと7匹の犬と共に、カナディアン
ロッキーの山の中に暮らしている。
彼は、山にすむ動物たちを罠を仕掛け、狩猟し、獲った動物の毛皮を
売ることで生計を立てている。
しかし、だからといって彼は必要以上の獲物は獲らない。
むしろ、自分が自然に介入することで、動物たちのバランスを適正に
保っているという。

現在、極北の地域では同じような狩人の数が減っており、それがために
特定の種の動物が増えすぎたり、逆に数を減らしすぎて絶滅の危機に
ある種も増えて、山が荒廃している地域が増えているという。

ノーマンの狩猟場も、森林の伐採により、罠を仕掛けて捕らえる「罠道」
という動物が通る道が消えてしまったらしい。

だからノーマンは新たな生活の拠点を求めて、さらに山奥へと入って
いく。そこからふもとの町までは、馬で5日間もかかるらしい。
そうして新たな生活の拠点を作るために、山を降りてきた途端、ノー
マンは長年のパートナーだった、シベリアンハスキーを交通事故で
失ってしまう。彼は、犬ぞりを引くときのリーダーだったのだ。

それを不憫に思った町の人の好意により、新たなシベリアンハスキー、
アパッシュを連れて、彼は山へと戻る。
そして、彼の狩猟の本番、冬の季節が始まった。
というような内容。

主人公のノーマンを俳優ではなく、カナディアンロッキーに住む本人が
演じているんだけど、彼の一挙手一投足にまず目を奪われる。
やっぱりね、実際にそこで生活している人の説得力というか、存在感が
この映画の一番の見所だろうと思うのだ。
これを演技でやろうったって、なかなか出来るもんじゃないと思うし。

そして、もう一つのこの映画の主人公は、カナディアンロッキーの自然
の(特に冬の)厳しさだろうと思うのだ。

広い山の中に、2人の人間と、7匹の犬の暮らすログハウスがぽつんと
一つ。雪深い山の中を分け入って移動するためには、犬ぞりに乗って
移動しなければならなくて、しかもその犬ぞりはリーダーを失ったばか
りで、まずはうまく統率しなきゃいけない訳で。

でもね、だからこそ彼らの生活に、犬が必要なんだ、ということが、
画面を通じて伝わってくるのである。
彼らにとって、犬は、単なる愛玩動物としてのペットではなく、自分と
運命を共にするパートナーなんだなあ、としみじみ思うのだ。

だってさ、山の中、寒くて凍え死にそうな時でも、犬たちがそばにいる
だけで、どれだけ心強いだろうと思うんだよね。
だから彼ら、ノーマンとネブラスカは、犬たちに話しかけるし、犬たち
にも、ちゃんとそれが伝わっていて。

ヒトはそんな風に何千年もの間、犬というパートナーを、生きていく
ため必要としていたんだなあ、と思ったのである。

そして犬たちにとっても、ヒトは(餌を与えてくれるだけではない)かけ
がえのないパートナーなんだなあ、という事が映画を見ているとわかる
のだ。

この映画の中にはもう一人、本人役として狩人の人が出てくるんだけど
彼は犬を失ってしまい、今はスノーモービルで一人山の中で暮らして
いる。
その背中はやはりどこか寂しい様にも思えるのである。
というより、その孤独に耐えてきた年輪の重みを感じさせるのである。
それはやはり、自然の中で生きてきたノーマンにも言える事なんだと
思うけど。

そんな風に、普段はほとんど人とは会わない、自然を相手に生きている
彼らなんだけど、だけど人間が生きていく上では、町の人たちも重要
なんだということもわかるし。
そう、人はやっぱり自然も含めて、沢山のものに助けられて、生かされ
ているんだろうな、と思うんだよね。

ノーマンは、獲物に対してこう言う。
彼らに対して謝罪はしない。ただ、感謝をするんだ、と。

繰り返しになっちゃうけど、でも人間って、何千年もの間、そうやって
自然の中でバランスをとることで、営みを続けてきたんだなあ、と思う
のである。

今、私にその生活をしろ、と言われたら(能力的にも)出来るわけはない
けれど、でも、そういう生活を人間が過ごしてきた事、そしてそこから
生み出された言葉の重みについては、もう一度咀嚼して、感じてみる
必要があるのかもしれない、なんて事を思った映画でした。


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harry [MAIL] [HOMEPAGE]

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