パラダイムチェンジ

2005年01月24日(月) あなたの話はなぜ通じないのか

精神科医、風野春樹さんの「サイコドクターぶらり旅」で以前見かけた
だが、茨城の女医さんの日記の内容が報道されて、いろいろと問題に
なっているらしい。
ニュースソースはこちら。

事態の推移を詳しく追っている「山崎宏之の論壇―思うがままに―」
のサイトによると、どうやらこの女医さんは病院をクビになって
しまったようで。
それを自業自得だと思うのか、そこまでいくのはどうか、と思うのは
人それぞれだと思うのだが。

うーん、でもね、個人的にはこの女医さん、書いている内容はともかく
として、そんなに極悪非道な医者のようには思えないんである。

さすがに技術的に少し劣ることは本人も自覚しているようだし、かと
いってそこで本当に開き直っているようには思えないし、内心でいろ
んなことを思っていても、そこをグッとこらえて患者さん本人にわめき
ちらしているわけでもなさそうだし。

読んだ感じでは、まだまだ若い(未熟な)Dr.って感じだろうと思う。
そしてこれよりもっとヒドイ、ドクハラやらセクハラをするDr.だって
世の中には沢山いるかもしれない。

酒を飲んで緊急オペした件にしたって、たとえ飲み会の途中でも呼び
出されたら、いついかなる時でも自分の技術には責任を持たなきゃいけ
ないって事のようにも思うし。

もしも私が、この女医さんの個人的な知り合いや同僚だったとしたら、
「ごちゃごちゃ書く前に自分の腕を磨けよ」というぐらいじゃないか
なあ、と思うのである。


私も以前、病院に勤めていた立場でいえば、中には本当に対処に困る
患者さん、っていうのもいるわけで。
これはたしかに心療内科か精神科対応なんじゃないかな、と思う人も
中にはいる。
前の病院では根も葉もない噂だけで右翼団体引き連れてこようとした
人もいたし。

だからスタッフ間など、内輪の飲み会でそういう患者さんにどう対処
しようか、と言う話は(多少の愚痴も含めて)当然出てくるし、風野さ
んも書いているように、精神衛生上はむしろ好ましいのかもしれない。

それでスタッフ間の連携や団結力が増した方が、患者さんにとって
利益になることもあるわけだし。
それはどんな職種についている人だって同様だろう。

ただ、それは酒の席というオフレコの、限定された場であるからこそ、
有効なのであって。
おとぎ話「王様の耳はロバの耳」の「切り株」の話ではないけれど、
そこで流して消えてしまうべき話が、スタッフでない第三者に、例えば
Web上なんかに残ってしまえば、また違った受けとられ方をするのは
仕方がない話なのかもしれない。

だからこの女医さんに関していえば、そういう文章を書かずにいられ
なかったとしても、他人が見てどう感じるのかってことに鈍感すぎた
ことが一番の問題なんじゃないのかな。


このように、ネットに自分の思いをのせる、ということに関しては、
常に第三者から誤解される可能性もある、というリスクを持つ。
それはこうやって文章を書いている私にとっても同様であり、以前にも
ほんの冗談で書いた話が本気だと受け取られてシャレにならなかった事
もあるし、何気なく書いた文章が、人の心をいたく傷つけてしまった
ことだって、こっちが気付いてない分も含めて、何回もあるかもしれ
ない。

このようにネットの世界って、何を書いてもいい反面、なかなか自分の
真意が伝わらなかったりする結構怖い世界でもある。
昨年起きた佐世保の小学生の殺人事件だって、ネットが誤解を増幅して
しまった点は否めないだろう。


ではネットに限らず、なるべく誤解の起こらないように、自分の思いが
相手に伝わるようにするには、どうしたらいいんだろうか。

ほぼ日刊イトイ新聞で、「おとなの小論文教室」をやっている山田
ズーニーさんの本に、『あなたの話はなぜ「通じない」のか』 という
本がある。
発売されたのは1年以上も前だけど、今でも様々な本屋さんの店頭に
平積みされているのを見かけるこの本の中に、一つのヒントがあるかも
しれない。

それは「自分のメディア力を高めること」
「メディア力」とは何か?
この本の冒頭で、ズーニーさんはこう書く。


「何を言うか」よりも、「だれが言うか」が雄弁なときがある。
例えば、同じニュースでも、どのメディアが言うかで、ぐっと印象は
変わる。

ついに宇宙とコンタクト(日本経済新聞)
ついに宇宙とコンタクト(東京スポーツ)

いかがだろうか?右の二つは同じことを言っている。でも違う意味に
見えてしまう。会議で、部長が話し始めるとみんな「うんうん」と
頷く、「それ、さっき私が言ったことじゃない。私のときはみんな
知らん顔してたくせに」なんてことが起こるのはこのためだ。

同じことでも、あなたが言うのと別の人が言うのでは、与える印象が
まるで違う。人間もメッセージを伝えるメディア(=媒介)だとすれ
ば、あなたは相手からどんな風に見られているだろうか?

あなたを「信頼のおける人だ」と思っている相手なら、少々言葉が
足りなくても通じる。しかし、あなたのことを「いつも小言ばっかり
言ってうるさい奴だ」と思っている相手だとしたら、あなたが「ねえ、
ねえ」と話し掛けた時点で、相手は「よくないことだ」と警戒し、
フィルターをかけて聞くだろう。相手から、もし、疑われていると
したら、何を言ってもダメ、信頼回復が先だ。

話が通じるためには、日ごろから人との関わり合いの中で、自分という
メディアの信頼性を高めていく必要がある(略)

人は、好きな人の話はよく聞き、嫌いな人の話は聞くのもいやだ。
相手が、「あなたの理屈は正しいとわかった、しかし、あなたという
人間は嫌いになった」では、通じたとは言えない。

話が通じるとは、勝ち負けでなく、あなたと相手の間に橋を架けるよう
なものだ。伝えるほどに、あなたへの信頼が高まり、結果的にあなたの
メディア力が上がるから、話はますます通じやすくなる、そういういい
循環を起こしていきたい。



つまり、相手からの信頼度、信用が高まればおのずと相手に私の思いは
伝わりやすくなり、相手の心にコミュニケーションという架け橋が
かかる。
そのためにはWeb上であるならば、文章を通して自分の「メディア力」
を高めていくしかないのかもしれない。

そして、この本の中でズーニーさんは、「想いが通じる5つの基礎」
として他に4つの条件をあげている。

それが
「相手にとっての意味を考える」
「自分が一番言いたいことをはっきりさせる」
「意見の理由を説明する」
「自分の根っこの想いにうそをつかない」
である。

この中で、特に「根っこの想いにうそをつかない」という事に関して、
スーニーさんはこう書く。


表現は、「何を言うか」より「どんな気持ちで言うか」が大切だ。
例えば、根っこに愛情があれば、「バカ!」と言っても温かい。逆に、
根っこに軽蔑をためた人から発せられる言葉は、「おりこうさん」と
言ってもバカにしているし、何を言っても、どう言っても冷たい。

その人の根っこにある想い・発言の動機、これを「根本思想」と言う。
言葉は、ちょうど氷山の見えるところのようなもので、水面下には、
その何倍も大きな、その人の生き方や価値観が横たわっている。
根本思想は、言葉の製造元。だから、短い言葉でもごまかしようが
なく、にじみ出て、相手にわかってしまう。(略)

逆に言うと、根本思想はそれだけ強いものだからこそ、根本思想と言葉
が一致したとき、非常に強く人の心を打つ。



うん、でもこれを読んで自分もそうだよな、と思うのである。
だから、自分の思いにうそはつくまい、と思う一方で、ネット上に
自分の文章をアップするときには最低限、自分が他人だったらどう
感じるだろうか、というのを考えた上で推敲をする。

今回の女医さんの場合、自分の思いを書くことで自分の気持ちは晴らす
代わりに医者としての自分のメディア力(=信用力)を損なってしまっ
たといえるのかもしれない。


でもね、最後に一つだけ書くならば、
どうして世間はこんなにも、教師や医者の不祥事?に対して厳しいん
だろう、とも思うのである。
でも今回の話って、そんなに重大な話だとも思えないし。

この女医さんが医者を代表しているわけでもないし、私の主治医な訳
でもない。もしも自分がかかっているお医者さんがこんな事を書いて
いたら相当へこむだろうけど、そういう感覚以上に叩かれているような
気がしてならないのだ。

もちろん、医者にしても教師にしても、はたまた高級官僚にしても、
人の上に立って尊大な人もいるけれど、全ての人がそうなのではない。

教師にしても、人の人生(それは子供の将来だったり、自分や家族の
生命だったり)を扱う仕事だから、よりメディア力は必要だし、
厳しい目で見られてるってことなのかなあ。うーん、謎である。


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