ちょっと前にマンガならではの恋愛物語を紹介したので、今回は 小説ならではの恋愛物語ネタ。 今回紹介するのは、川上弘美の「溺レる」。
この小説、一言で言うなら「官能小説」である。 かといって、緻密な性の描写がそこにあるわけではない。 具体的な行為については、なにも記されているわけではないのに、 行間から漂ってくるものは、とてもエロティックなのである。
たとえば、
ナカザワさんはおおいかぶさり、揺らし、止まり、旋回し、自在に する。考えたいのに考えられなくなる時間がくる。られない、などと いうことは、あるわけがないのに、ほんとうに、られない、ように なりかける。なりたくてしかたないので、限りなく、られない、に 近づく。られない、そのものではなくても、られない、に、一番近い ところまでいってしまう。
わたしの顔が公式にしたがうがごとくゆがむころ、ナカザワさんは動き をゆるめてわたしを凝視する。 (「可哀想」)
なんていうのかな、その文章に描かれている身体の鼓動が、本を読んでいるこっちにも伝わってくる気がするのだ。
川上弘美は、前に「神様」を読んでいて、淡々とした中で面白い発想ので きる人なんだなあと思っていたんだけど、淡々とした中にエロティック な事も書ける人なんだ、ということをこの短編集で知ったのである。
もう一つ、この「溺レる」の魅力について語るのなら、この小説に出てく る人たちが、みんな生きていることだと思う。 百年前に死んでしまった人の霊魂ですら、生きている感じなのだ。
生きているからこそ、食べ物をむしゃむしゃ食べたり、どこかだらしな かったり、何かから逃げたりする。 そこに完全無欠で完璧な人間は登場しない。
でもだからこそ、読んでいてどこか安心するのかもしれない。 人間、理屈じゃないんだからよう、と言われているような気がするので ある。
そしてこれは小説という形だからこそ描けるものなのかもしれないな、 とも思うのである。 久々に、とびきりいい小説に出会った感じである。
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