パラダイムチェンジ

2004年07月31日(土) 肉体という現場

私は、はりきゅう、マッサージ師という仕事をしている。また時々、
整体はやらないの?と聞かれるが、無論、整体も行なう。ただし、
いわゆるバキバキッというのは行なわない。
そういうのは、他所で一杯やっているからである。

で改めて何を書くのかといえば、この仕事についてよかったな、と
時々思うのは、目の前に現場があるということだろう。

そしてこの現場、仕事の経験が増せば増すほど面白いのである。
それは一人として同じ状態、同じ症状の患者さんはいない、という
ことである。

たとえばある日、腰痛でうちに来た患者さんがいたとする。
とりあえず、その日は悪戦苦闘のすえ、何とかよくなってもらい、
またしばらくしてその人が来た場合、前回と症状の傾向が似ていても
まったく同じであるという訳ではない。

だから前回とまったく同じ治療を加えるのではなく、その時その時で
治療に微妙なさじ加減を加える必要が出てくる。
そしてそれは他の患者さんでも同様で、基本的に来る人によって症状は
異なるし、また同じ人でも症状が毎回違うことも珍しくはない。

かと思うと、この腰痛のタイプの人はなかなかうまく治らないなー、と
思って悪戦苦闘しているときにかぎって、似た症状の人が次々とやって
きて、いろいろと試しているうちにまとまてスッと治ったりする。

だから仕事に対して飽きがくるということがあまりないのだ。

だって次にくる患者さんがどんな症状なのか、まったく想像もつかない
現場なのだから。


でもね、私にとって患者の肉体が商売としての現場であるのと同時に
私自身の肉体も、私にとっての一つの現場なんだよなーと思うのであ
る。

つまり、たとえばカゼで頭が痛くなったり、お腹が痛くなったり、また
歯が痛くなる、なんてのは、いわば現場からの抗議の声だともいえる
わけで。

もしもその状態でさらに肉体という現場の声に耳を傾けずに、無理を
してつっぱしった時には、場合によっては身体をこわして入院したり、
悪くすれば重篤な病気にかかって死んじゃう、なんてこともあるわけ
だ。

だから健康的に生きる上では、肉体という現場の声に耳をかたむける
ってのも大切なんじゃないのかな。


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harry [MAIL] [HOMEPAGE]

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