パラダイムチェンジ

2004年03月06日(土) 財前教授の嘘

人は誰でも嘘をつく。嘘をつかない人間なんていない、なんてよく
言われる。
もちろん、それは私にも当てはまる。私も嘘をつきまくる。
だけど、それはある一定の条件を満たした時に当てはまるような
気がする。

TVドラマ「白い巨塔」第18話で、財前教授が法廷で嘘をついた。
自分の執刀した患者さんが死亡した事に対する、医療過誤を争う裁判
で、それまでは財前教授のとった治療方法は常識的に考えて問題が
ない、という結論が下されようとしていた中、原告側の弁護士から
手術以外の治療法についての説明、すなわちセカンドオピニオンが
あったのか、と問い詰められ、言わなくてもよかった口から出まかせ
を、つい口にしてしまった。

本人にしてみたら罪の意識もなく、つい口がすべった位の感じだった
んだろう。でも、その場所は法廷で、そこでの証言は絶対である。
勝つはずの裁判で、一転財前教授は不利な立場に立たされてしまった。
というのが前回までのあらすじである、これからどうなるんだろう。
わくわくどきどき。


個人的に、法廷ドラマや映画は大好きである。特に好きなのが、トム
クルーズ、ジャックニコルソン主演の「アフューグッドメン」
映画の終盤、軍事法廷で追い込まれたトムクルーズ演じる弁護士の
とった方策とは?という感じで息詰まるシーンがとてもよい。

今回のシーンが、果たしてあの映画を意識したのかどうかはわからな
いが(上川隆也演じる弁護士は、トムクルーズを彷彿とさせた)、
非常に演出もうまかったと思う。


さて、冒頭に戻る。
何故、財前教授はあの場で、あんな嘘をつく羽目になったんだろうか。
そのまま説明しなかったことを認めたとしても、もしかしたらまだ
裁判は有利だったのかもしれないのに。

他人事ながら、その理由について考えてみる。
それは上川隆也に追いつめられて、自分の語る世界が破綻しそうに
なったからではないだろうか。

すなわち人が嘘をつく理由の一つには、自分の存在が脅かされた時の
自己防衛本能である、といえるかもしれない。

人は人をだますことは出来ても、自分を否定することは、なかなか
できない。また、その人に地位や名誉など、本人にとってはかけがい
のない、守りたいものが沢山ある場合、それが脅かされそうになった
場合に、それを必死に守ろうとする時は、嘘をつくことに対する罪の
意識は、どんどん薄くなってしまう。

だって、嘘をつくことによってかかるコストなんてたかが知れている
訳だし、嘘をつく位で自分の地位や名誉が守られるんだったら、平気
で嘘をつくだろう。

だかど、その嘘をついた人は、肝腎な事を忘れていると思う。
嘘をつくと言うことは、今度は嘘がばれた時のリスクを負わなければ
ならないのである。

社会的に嘘をつくことはよくない、とされている。それは嘘をつく
ことがいかに易しい事である一方、その嘘で不利益をこうむる側に
とってみれば、その被害が莫大なものになる可能性がある、という
事を皆が知っているからだと思う。

だから他愛のない嘘は許される。せいぜいあいつは嘘つきだと言われ
る程度である。
でも、嘘をつく事が他人に迷惑を及ぼしたり、また嘘をついた人間が
それによって多大な利益を得た場合には、その人間は社会的に制裁
されてしまう。

某ペパーダイン大学に在籍したが卒業できなかった某代議士である
とか、鳥インフルエンザの感染報告を隠蔽した養鶏業者に非難が集中
した理由はそういうことだろう。
養鶏業者にいたっては、自殺をしてしまった。果たして自らの命を
絶たねばならないほどの罪であったのかどうかは置いといて、それ
だけ、一時の迷いでついた嘘の代償は大きかったという事だろう。


だから、なるべく嘘をつかないに越した事はないのだが、その為には
一体どうすればいいんだろう?
一つは、自分の存在自体が揺らぐような、そんな事態がやってくる
のを未然に防ぐと言う事だろう。

例えば、今回の「白い巨塔」の財前教授の場合でいえば、江口洋介
演じる里見助教授が語っていたように、それが多少煩わしいもので
あったとしても、事前に患者および患者の家族に手術の術式のみなら
ず、手術以外の可能性について説明すべきだったという事である。

その時に患者が選んだ結果、思ったほど延命効果が得られず、落命し
てしまったとしても、患者側としては少なくとも納得できる根拠は
あったといえるんじゃないだろうか。

逆に言えば今回の財前教授はあの時説明を怠ったことのツケを払わさ
れたといえるのかも。


そして、もう一つ、嘘をつかなくなるための方策とは、相手の立場に
たって考えるということかもしれない。

患者にとってみれば、自分が突然ガンになる、ということは相当、
理不尽な事である。その時に何の説明もなく、突然に死んでしまった
場合は、その理不尽さの理由を、医師や病院側にぶつけるしか、
納得のしようがなくなってしまうのかもしれない。

だから嘘をつくつかないに限らず、相手側の立場に立って考えれば、
どうすればいいのかという方策は決定すると思うのだ。

またもしも、嘘をつくとしても、自分がそういう嘘をつかれた時の
事を想像できる人間であるならば、そこで嘘をつく以外の面倒くさい
かもしれない代替案を選択する余裕がでてくるんじゃないだろうか。

もしもあの時、財前教授の脳の片隅に直接の被害をこうむる柳原医局
員の顔が浮かんでいたら、展開は違っていたかもしれない・
ま、ただしこっちの方がドラマとしては確実に面白くなった訳だが。

冒頭に戻れば、そんな理由で私は嘘をついてきたし、これからも嘘を
つき続けるかもしれない。
でもできれば、嘘をつかなくて済む人間関係の中で生きていたいと
思うのである。
だってその方が気が楽だもん。


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harry [MAIL] [HOMEPAGE]

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