パラダイムチェンジ

2003年07月04日(金) 健全な魂は健全な肉体に宿るのか(後編)

と、いうことで前回の続き。
今回はもう少し、自分の仕事絡みの話になる。
「健全な精神は健全な身体に宿る」という言葉、
個人的にちょっとアレンジすると、更に共感しやすくなる。

すなわち、「身体が健康で余裕があると、心にも余裕ができて、
アイデアも湧きやすい」である。

そして、これをより専門的にいうと、
「身体の姿勢がちょっとおかしいと、気持ちの余裕は生まれにくいかも
しれない」となる。


なんでそんなことを思うのか。
それは、今回のようにカゼをひいてみるとよくわかる。
すなわち、カゼをひいて、鼻水ズルズルしていたり、今回はそうでも
ないけれど、頭がガンガンしている時に、例えばこの日記の内容を考え
ようと思っても、あまりいい考えは思いつかないし、アイデアもうまく
まとまらなかったりする。
まあ、じゃあいつもはそんなにまとまっているのかという話もあるが。

結局どんなにいいことを頭で考えようとしても、そこに栄養を送る
身体の状態があまりよくなければ、いかに優秀な?脳であっても、
身体の状態がいい時のようにはうまくは働いてくれない、という事だと
思うのだ。

つまり、(状態のいい)身体があってこそ、物事を考える余裕も出てくる
ってことなのかもしれない。


で、実は、これはカゼや病気だけに限らない。
普段の生活の中で、なんか些細な失敗をしてしまったり、物事がうまく
はかどらなかったり、些細なことで気が立ったりしてしまうことって
ないだろうか。

実は、そういう時、必ずしも相手が悪いわけだけでもなく、実は自分の
身体が不調を訴えている場合や、自分の姿勢が崩れている場合もあると
思うのだ。


これは、「こころの生態系」の中からでの、河合隼雄の発言。

河合 (略)でも、じつは、あれこれ介入する前に、悪循環だと思ったと
   きにどうしてもチェックしなければいけないのは自分の姿勢です。

   禅をやっている人に聞いて、ぼくはなるほどと思ったんだけど、
   長い間やっていると幻覚やらが出てくるわけですね。そうすると、
   天狗が出てきたりなんかするわけです。そのときに、「あ、出て
   きた。その天狗をどうしよう」と思う前に、まず姿勢を気にする
   んだそうです。そしたら、ちょっと背中の位置がずれてたりね。

   それですっと姿勢を正すと、天狗もパッと消えるというんです。

   だから、まず自分の姿勢を正す、それを考えますね。自分はどこか
   姿勢が歪んでいないかな、というのを考える。そして、明らかに
   歪んでいたなあと思うときには、それをみんなに言うんです。

   「ぼくは、このへんでちょっと歪んでいたように思うから、ここを
   まっすぐにしようと思う」という話をする。そのときに、あなた方
   がどうのこうのとは絶対に言いません。そうではなくて、自分の
   こととして言うんです。


これは、臨床心理学者としての河合隼雄が、患者さんのグループ討論に
介入をせざるを得なくなった時の心構えを述べている話なんだけど、
同様のことは、私たちの日常でもよくあることだと思うのだ。

例えば、子供の振る舞いに思わずカッとした時でも、すぐに切れたりする
のではなく、その前に一度自分の姿勢を直した方が、注意するにしても、
より、相手の心に伝わるのかもしれない。

もし、それを怠り、ただ単に自分の怒りを相手にぶつけるだけだと、
怒られた当の相手には、ただこの人は怒っているんだ、という感情だけ
しか受け取られないような場合もあるかもしれない。


こんな風に、自分の精神状態(感情)と、自分の身体の状態は、実は
密接な関係があるんじゃないかな。

で、自分の仕事っていうのは、大げさに言えば、できるだけ身体に
様々なことを考えられる余裕を与える仕事だとも思うのだ。

そんなわけでもう一回続く、かも。


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harry [MAIL] [HOMEPAGE]

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