パラダイムチェンジ

2003年05月14日(水) もうすぐ1周年

そんなわけで、この日記サイトを借りてもうすぐ1年になる。
個人的には1年続いたというよりは、この半年間、よく続いたな、
って気がするんだけれど。

まあ、今回それなりに息が長く続いているのは、自分の中での距離の
置き方が安定しているって事かもしれない。

日記っていうのは、日々の記録、の意味だと思うんだけど、記録される
ものは人によってさまざまだと思う。
その日に起きた出来事の記録であったり、思い出や記憶の記録だったり、
感情の記録であったり。
そしてこの日記は思考の記録である、といえるかもしれない。

また個人的に日記サイトって、誰に伝えようと思うのか、を設定するの
が結構難しいような気がする。
その中で一番、設定しやすいのは、あくまで自分に向けて書く場合と、
もしくは、自分を知っている人向けに書く日記だろう。

その場合プライベートなことや、その仲間内で共有される感覚をベース
にできるし、対象もはっきりしているので書きやすい。
つまり、お互いに共通する土台があることが前提になる。
ただし、その場合その共通する土台のない人にとっては、入り込みにくい
世界になったりする。

いや、もちろんそれで構わないんだけれど。
ただ、個人的にはできれば不特定多数?の人にもできればメッセージを
伝えたいとも思ったりするわけで。

その反対に、誰か特定の対象を設定せずに書いている場合、今度は今、
書いている事を伝えたいと思う対象が不在なわけだから、途中で自分の
やっていることに無理を感じたり、息切れをしてしまったりするかも
しれない。

っていうか、自分は典型的にこっちにはまりやすいんだけど。
やっぱり徒手空拳というか、まったく対象のいない世界で書き込み続け
るのにはおのずと無理があるような気がするのだ。
それは例えば、作家の人たちも同様かもしれない。

ではこの日記の場合、私は果たして誰を対象として、書いているのか。

私がこの日記で伝えたいと思う誰か。
その内の5割は自分。過去の自分と未来の自分への伝言である。

これはどういうことかといえば、過去の自分に対していえば、かつての
自分が疑問に思っていたことに対しての、現時点の自分なりの解答である
といえるし、未来の自分に対しては、あの時、自分がどう思っていたか
ということの記録であるといえる。

それは大げさに言えば、自分自身との一種の対話であるといえるかもし
れない。
だから以前も書いたけど、読者としての自分がつまらないと思うものは
なかなか載せられない。

ただし、自分との対話をするだけならば、何も日記を公開する必要は
なく、ただ一人でシコシコと書いてりゃいいじゃないの、と思うかも
しれない。

でも個人的には、公開していることに意味があると思うのだ。
もしも、自分が自分の思いを、自分の中だけで育んでいこうとしている
と、個人的には自家中毒のような状態になり、やはり日記を更新し続ける
事は難しい。
それは、もう小学生時代からの伝統?なわけで。

この日記の場合、それは例えば5割ではあるけれど、他者という外部を
意識しながら書いている。
ただし、それは外部の評価を気にしながら書いていると言う訳ではない。
それが具体的な誰かである必要は必ずしもなく、自分の外側にいる誰かに
伝えようと思うことで、自分の考えを自分にも、そして他人にもわかり
やすい形で伝えるための努力をしているんじゃないかな、と思うのだ。

そして、もしもそんな個人的な思考の中から、他の人にも共感が生まれる
としたら、それはその意見の中に普遍的なものが生み出されていることに
なるわけで。

だからそれも例えばBBSのように直接的な形ではないにせよ、一種の
コミュニケーションの形といえるんじゃないかなあ、と思ったりもする。

なんつうのかな、自分の知識をひけらかすわけでもなく、かといって
閉じてしまうわけではない、という絶妙の?距離感が今後もとれていけ
ればいいなあ、なんて思うわけである。


そんなわけで定期的にでも不定期にでも、はたまた偶然にでもこの日記を
読んでくださっている皆さんへ。
わざわざ読んでくださってありがとうございます。

果たしてこの日記を読むことがあなたの得になっているのかどうかは
わかりませんが、何かしら得るものがあればいいなあ、と思います。

そんな感じでキャラバンは進んでいきたいと思う。


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harry [MAIL] [HOMEPAGE]

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