さて、今日は日曜日なので、できるだけ短めの思いつきで。
いきなりだけど、若さってなんだろう? 昨日の日記を書いてみて、あー、でもこう言う意見っていわゆる 大人的な考え方とは相容れないというか、青臭いとか思われる んだろうなあ、なんて気がしたのだ。
そんな事言ったって大人には大人の事情があるんだよ、そんな事も いまだにわからないの?みたいな。 もしかしたらそんな風に思う人もいるかもしれない。
うん、でも個人的な感覚で言えば、若さと大人らしさっていうのは 決して対立する願念ではなく、むしろ本当はいい相性なんじゃ ないかなあ、なんて気がするのだ。 ということで、冒頭の問いに対する個人的な思いつきを書いてみる。 若さとは一体なんなのか。
若さとは、おそらくは自分の未来に楽しい事がやってくると思い続け られる力、の事なんじゃないだろうか。
おそらく大人になってしまった人間が、年下の、例えば学生や新入 社員あたりにまぶしさを感じてしまうのは、彼らがまだ何も染まら ず、自分の将来が明るいと信じきっているからなのかもしれない。
そしてその一方で、まだ何の疑いも持っていない彼らの前途には、 様々な障害が待ち受けているはずで、それを前にした時に彼らは 一体どうするだろう、なんて事を考えてしまったりもする。
でも、そんな事を思っている当の大人だって、例えば恋に落ちて しまった時は、突然開けてしまった相手との明るい未来を期待して しまう自分がいたりする。 すなわちその瞬間に、その人は自分の中にある若さという要素を 再び見つけだしているような気がするのだ。
そしてその若さという要素は、実は年齢に関わらず、誰もが潜在的に 持っているものなのかもしれない。
だから70歳になっても、なんらかの生きがいや、自分の行く先は 明るいと思っている人はいつまでも若々しさを保っていられるのかも しれない。 逆に、中学あるいは高校の3年間は死んだようにしてればいいんだ、 なんて思っている10代の子供たちには、そう思っている限り、 若さではなく老いが目立ってしまうのかもしれない。
ただ、大人になって、何か将来にいい事があるはずだ、と何もない 所で待ち続けていたり、そのために投資し続ける事って結構しんどい 事だから、人によってはあきらめるというか、若さと言うステージ から降りてしまったりもする。 そしてそのステージから降りてしまった途端に老けてしまったり するのかもしれない。
そしてもしかすると、そう思っている若者たちが例えば集団自殺 なんてことをしてしまうのかもしれない。 だってそこに若さはちっとも感じられず、ただ単に老いがあるだけ、 のような気がするのだ。 つまり、若さって要素は、ちゃんと耕していないといつしか老いに 変わってしまうものなのかもしれない。
で、冒頭の話に戻ると、実は大人らしくある事と、若さとは決して 相反する考えではないような気がする。むしろ魅力的な大人って、 自分の全てが薔薇色ではないにしろ、何かしら自分の行く先には 楽しい事が待っているって事を信じていたり、見つけられる人、 すなわち自分の中の若さの要素を時々にでも刺激し続けている人 なんじゃないのかな。
自分の未来は明るいはずだ、とただ単に盲信する事は、まだまだ 青臭いというか、未熟な若さかもしれない。 でもそれに対して、例えば、たとえどんな状況でも、少しでも未来 を明るくするための知恵を持っているって事は、成熟した若さを 持っている、なんて事になるんじゃないだろうか。
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