掛川奮闘記

2008年11月10日(月) 081110_日本人らしさの原点

 日本人の発想力の源はなにか。ネット掲示板の2チャンネルで拾ったネタです。どうやら若い女性の発言のようですよ。


* * * 【以下引用】 * * *

 OLだった頃、会社で働いていた日本に超詳しいベルギー人が言ったことに納得してた。
 日本文化は身内受けの凝り性文化だそう。

 外国文化に負けまいとしているのではなく、世に意図的にインパクトを与えようとしているのでもなく、今ここにいる同じ価値観を共有する仲間からの喝采を浴びたいと考える。

 その結果、同じものを志す者同士の「これすごいだろ、おもしろいだろ」合戦が始まり、そこで生み出される物が自然と研ぎ澄まされていく。

 でもその競争は、敵対的なものではなく、お互いを尊敬しあいながら、静かに深く進行していく。

 そしてある日、偶然目撃した異文化出身の人間(外国人)から、それがすごいものであることを知らされる。
 ほとんどの日本人はその日が来るまで、自分たちが作り上げた物がすごいものとは知らない。

 もろもろの伝統文化、芸能、電化製品、アニメ、他、みんな同じパターンで世界に広まっていった。

 だから、日本がここまで発展してきたのも必然的なものだし、この精神が衰えない限り、これからも日本は誰に頼まれることもなく、知らないうちに勝手に世界にインパクトを与え続けていくだろうと。


* * * 【引用終わり】 * * *

 戦後日本は焼け野原から立ち直り、世界に追いつけ追い越せという経済での発展をひたすら目指してきたが、いざ世界に追いついてみたら目標を失って漂流し始めている(…らしい)と、なんとなく刷り込まれてきたような気がします。

 しかし室町時代から江戸時代など、日本らしい文化が誕生して爛熟した頃には日本が世界に追いつこうなどいう野心など全くなかったわけで、そんななかで日本独自の文化を生み出して楽しんできたという歴史をもう一度味わいたいもの。

 経済発展だって、本当に世界に追いつこうとしてやっていたのでしょうか?職人気質を持った日本の工業人たちは、ただ目の前の製品をより便利にするにはどうしたらよいか、というオタク的精神を発揮していたに過ぎなかったのかも知れません。

 そうして自分たちが満足できて楽しめる商品はやっぱり次代をリードするものになってきたという知らず知らずの実績。これこそが日本らしい結果とも言えそうです。

 日本人は自分たちの生き方にどこか自信がなくて、困ったときには世界を見渡して良さそうなものをまず取り入れてみますが、そのままではうまくいくはずもなく、すぐに日本流にアレンジして、より快適なものを生み出してしまいます。
 
 しかしそのときの快適の基準は、案外身近な人たちの「いいんじゃない、それ〜」という感覚であるのかも知れません。近所の若者からお爺さんお婆さんまでの好みこそが世界の好みなのかも。
 
 やっぱり青い鳥は遠い国ではなく、身近なところにいるのかもね。


 < 過去  INDEX  未来 >


こままさ