掛川奮闘記

2008年07月18日(金) 080718_時代を変えた男、野茂英雄

 大リーグでも活躍した野茂英雄投手が引退を表明したのだそう。

 トルネード(竜巻)とあだ名された独特のフォームから繰り出されるストレートとフォークで三振の山を築いたあの投球ももう見られないかと思うと寂しい限り。

 野茂が偉大なのは、日本のプロ野球界にとどまらずに自分自身の活躍の全盛期に大リーグを目指し、そこで大活躍をしたこと。彼のお陰があればこそ、日本プロ野球界のレベルの高さをメジャーの各球団に印象づけることが出来たのです。

 そしてそのことが、後のイチローや松井、松坂などに見られるように、メジャーリーグが日本の選手を受け入れる素地を作り上げました。まさに日本のプロ野球を大きく変えるエポックを作り上げたのが野茂英雄なのです。

 日米通算201勝155敗、メジャーでは両リーグでノーヒット・ノーランを達成した偉大な投手です。長い間ご苦労様でした。

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 そういう野茂を受け入れたのが、またアメリカという国の懐の広さでしょう。国籍がどこであろうと、活躍する人を正当に評価して受け入れる。そういう国柄こそが、世界中からの優秀な能力を惹きつける魅力なのです。

 そういう魅力があればこそ、どこの国の人であろうが試合というプラットフォームが形作られているのはアメリカであり、アメリカが繁栄するという構図が作られています。

 「ウィンブルドン現象」という言葉が経済の分野で語られます。ウィンブルドンはイギリスの伝統的なテニス大会なのですが世界中から強豪が集まってくるためにイギリスの選手が勝ち上がることができなくなりました。

 そのため、「自由主義貿易のために自国が利益を得られないこと」という意味で「ウィンブルドン現象」という単語が使われています。

 しかし逆に言うと、自国の選手が活躍できなくてもウィンブルドンといえばイギリスでなくてはならないわけで、世界中からプレイヤーを招き入れる魅力がそこにあるということですね。

 もはやグローバルな経済ということは、そうした考え方を受け入れて、世界のプラットフォームになる競争に飛び込まなければ勝てないということを常識とすることなのではないでしょうか。

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 日本を代表する文学賞である芥川賞は今年、「時が滲(にじ)む朝」を著した中国人の楊逸(ヤンイー)さんが受賞しました。

 ある友人は「日本の文学賞が外国人に賞を与えていいのかなあ」と憤っていましたが、私のグローバル世界論と意見を交わすうちに「そうか、そういうことなんだな」と理解を示してくれました。
 
 良いものを素直に良いと認める社会こそが、これからの日本の進む道。そうして世界に飛び込み、世界を受け入れるしかこの国が生きて行く道はありません。
 
 大分県での教員採用にまつわる贈収賄事件を見るにつけても、狭い世界がうまく行っていれば良い、とするローカルルールという名の既得権に対する社会の拒否感の現れと見えます。

 グローバル化する社会の変化の方向を、そういう文脈で読み取れば、ローカルルールを存続させることはもはや難しくなっているのだ、と思わざるを得ないでしょう。

 誰が憎いのでもなく、どの個人を批判しようというのでもなく、変化している社会に対して、その先を行く(作り上げる)か、その変化について行くか、その変化に取り残されるか、という選択肢しかないのだと思います。


 野茂さん、ご苦労様でした。そしてありがとう。  
 
 


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こままさ