| 2008年06月10日(火) |
080610_ドン・キホーテになれるか? |
帰りしなに本省に勤める後輩のA君から「ちょっとお訪ねしても良いですか」と電話がありました。どうやら仕事で近くまで来たとのこと。
職場へ立ち寄ってもらったものの、落ち着かないので近所の居酒屋へ。大人の話はお酒がなくてはね。
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最近の都市行政の話題は、やはり環境問題やコンパクトシティ。都市計画でもいかに都市をコンパクトにするか、ということに積極的に取り組んでいますが、国土交通省だけで解決できる分野は限られています。
「こままささん、都市をコンパクトにしようと思うと、その周辺はやはり農地になるんですね。昔は市街地か農地か、という仕切り線があってそこで行政の担当が決まっていたものです」 「昔はそれで良かったんだけど、今は相互に歩み寄らないとダメでしょう」
「そうなんです。市街地を決めるのは形で良いのですが、農地は農業という活動をしてもらわなくては農地にはならないんです。そしてその領域には国交省としては手が出せないんです」 「形と活動か。モノとコトという話は良くするけどね」
「同じように、都市に対して二酸化炭素をより排出しないような都市づくりも求められていますが、これまた形だけの問題ではなく、エネルギー問題や機器の省エネ問題、そして農業などの各種活動が各省にまたがった議論になってしまうんです」 「国でやれるのは制度というツールを作るところまでで、それをどう使うかはもう自治体の問題なんだろうね。しかし自治体が勝手に行動しても、国全体としてパフォーマンスが上がるか、というとそうとも言い切れない。全体と個別のパフォーマンスを誰がどのように把握してコントロールできるのだろうか。地方自治も間違うとてんでバラバラということにもなりかねないしなあ」
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個別と全体のバランスを誰がどのように舵取りするのか。この舵取りをガバナンスと言いますが、日本は民主主義を標榜しつつ、権力を振りかざす者をつくらない知恵を編み出してきました。
それが逆に、いざというときに強い指導力を発揮できないシステム上の欠点でもあると言えるでしょう。
単なるパフォーマンスではなくて、真剣に未来を考えることが本当に大事なときに来ています。環境問題は一斉にやらなくては意味が半減し、先行者が馬鹿を見ることになりかねません。
馬鹿でも良いから、ドンキホーテになってみる、という生き方もあるのでしょうか。
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