| 2006年04月16日(日) |
060416_子供を可愛がる精神 |
昨日とはうってかわって、朝からどよんとした天気。小雨は降るわ、夜には雪だそうです。やれやれ…。
【祖父母のお年忌法要】 今日は母方の祖父母の法要をすることになっています。祖母の27年忌と祖父の23年忌を一緒に行うのです。
祖父母のお寺さんは洞爺湖町(旧虻田町)にあるのですが、お坊さんにお願いして、このために来て下さることになっているのです。お坊さんも大変です。
親戚の多くはない我が一族ではありますがこういう時は揃うもので、法要が死んだ者のためではなくて生きている者のために行われるものだということが分かります。 節目節目を大切に生きて行きたいものです。
法要に集まった最年少は、昨年8月に生まれた生後八ヶ月の甥っ子です。念仏の始まる前は割とおとなしくしていたのですが、お坊さんの経が始まると驚いたのか大きな声で泣き始めました。
お母さんである義理の妹は抱きかかえてあやしていますがなかなか泣きやまず、ちょっと大変。でも幼い時から経を聞かせるような生活はもう現代日本ではなかなかないのでしょうね。 日常生活からの縁が切れてしまうと、文化も急速に廃れてしまいそうです。現代の新しい形の祖先を敬う儀礼はどういう形になるのでしょうか。
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弟夫婦は長男誕生が嬉しくてたまらず、始終話しかけています。自分もああだったのでしょうか。
イザベラ・バードというイギリス人の女性旅行家が明治11年に日本にやってきたのは47歳の時だと伝えられています。
彼女は北陸から東北、そして蝦夷地までを旅して「日本奥地紀行」という優れた紀行文を残してくれています。
まさにそこには外国人の暖かいまなざしで見た日本の庶民生活が興味深く描かれています。当時の日本人には当たり前すぎてだれも書物に書こうなどとはしなかったことが、外国人の彼女から見ると何もかもが不思議であるために事細かな描写で描かれているので、余計に当時の当たり前の日本が見えるのです。
日光のあたりを訪ねた時に、彼女は大変に子供を可愛がる日本人を驚いたように眺めている描写があります。
「私は、これほど自分の子供をかわいがる人々を見たことがない。子供を抱いたり、背負ったり、歩くときには手をとり、子供の遊戯をじっと見ていたり、参加したり、いつも新しい玩具をくれてやり、遠足や祭りに連れて行き、子供がいないといつもつまらなそうである」(宮本常一著「イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読む」平凡社ライブラリー)
「毎朝六時ごろ、十二人か十四人の男たちが低い塀の下に集まって腰を下ろしているが、みな自分の腕の中に二歳にもならぬ子供を抱いて、かわいがったり、一緒に遊んだり、自分の子供の対角と知恵を見せびらかしていることである」
「その様子から判断すると、この朝の集会では、子供のことが主要な話題となっているらしい。夜になり、窓を閉めてから、引き戸をかくしている縄や籐の長い暖簾の間から見えるのは、一家団欒の中に囲まれてマロ(ふんどし)だけしかつけてない父親が、その醜いが優しい顔をおとなしそうな赤ん坊の上に寄せている姿である」
「母親は、しばしば肩から着物を落とした姿で、着物をつけていない二人の子供を両腕に抱いている。…子供達は私たちの考えからすれば、あまりにもおとなしく、儀礼的にすぎるが、その顔つきや振る舞いは、人に大きな好感を抱かせる…」
宮本常一さんはこの描写を読んで、「たしかに日本の親は大いに子供を可愛がっていた」ということを改めて発見し、「日本で技術が伝承されていったのは、こういう世界があったからで、このような形で育てていくことが親の義務だったのです。学校教育が進むようになってから、切り離されて学校がそれをやるようになってくるのです」と述べています。
そのうえで「百年前のイギリスにはすでにその時期のイギリスでは家庭が団欒とか教育の場としては機能していなかったのではなかろうか、これは外国人が自分の国と比べながら日本を見ているために、特に日本に対して全然先入観のない人が見ているだけに非常に興味を引かれるのです」と述べているのです。
日本人が子供を好きで、溺愛するのはどこか国民のDNAに組み込まれていることだと言ってよいのでしょうか。
最近の日本では逆に子供を可愛がる様子を見て、子離れしていないとか、溺愛しすぎ、多少離した方が我慢強くなるということを言いすぎてはいるのかもしれません。
可愛い子供を可愛い年頃の時に可愛がるということは時代を超えて親にとっては無上の幸せのはずです。 子供を可愛がるということの意味を現代の我々ももう一度考えてみたいものです。それもまた先祖への供養なのかも知れません。
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