掛川奮闘記

2006年01月22日(日) 060122_支えて支えられているという事

 今日も一日比較的穏やかな日。

 今日は
■支えられて支えている です。

【支えられて支えている】
 午後になって中国のお土産を実家や身内に配達。実家のある近くのまちは雪が本当に多くて、普段は広い道路が一車線になってしまっている。

 実家の父は「車同士がすれ違いづらいのだけれど、脇にどけて譲った方が雪の柔らかいところにタイヤを取られて埋まって動けなくなっているのを何度も見たよ」とのこと。道路は適切に除雪をしないとどんどん雪が厚く踏み固められてしまう。

 実家でも、普段は家と同じ高さの道路のはずが家よりも30センチも高いところに中心部の高いカマボコ状の道路になるものだから「滑って家から道路に出るのに苦労するんだよ」という事になってしまっているのだ。

 実家のあるまちでは今度の週末には運搬排雪を行うということになっているようだが、ある程度我慢をして除雪の予算と冬の残り期間との兼ね合いを考えないといけないのだろう。

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 札幌では一年で除雪費用が150億円もかかっていて、春になると融ける雪のためにこれだけのお金が使われているということに対して、内地の人たちからは驚きや呆れ気味の声も聞かれるかも知れないが、それは単に日本は広くて各地には各地での暮らし方があるということに他ならない。

 北海道でも道路除雪を東京のように暮らすための贅沢と捉えたり、北海道なりの我慢をすべきという考えもあるかも知れないが、今日の道路は通勤や観光のような私的活動を支えるだけのものではなくて、経済活動を裏方で支える物流にとって欠かせない施設なのだという認識が必要だ。

 現代日本の物流ではものをどこかに全部品揃えしてストックしておくよりも、必要な時刻に必要なだけものがあればよいというトヨタ自動車の「ジャスト・イン・タイム方式」が増えてきて、それを支えているのは「道路」という施設そのものではなく、「通れる道路」という機能が重要なのだ。

 それは「通れなければ自分は車を使う事を我慢する」ということでカバー出来るものではなくて、もはや食べ物から日用品、エネルギーまでが物流によって支えられているということだ。それはまるで血管の中を血が通っている状態が担保されなくては健康ではないという事に似ている。

 今年の大雪で通行が不可能になった新潟県と長野県の山奥に関する報道では「雪国の知恵で食料などはしっかりと備蓄されていた」という事が言われていたが、そのインタビューで住民が口にしていたのは燃料がなくなる事への不安であった。

 「人はパンのみにて生きるにあらず」とはキリスト教の聖書の言葉だが、意味こそ違え現代日本では食料だけで生活を維持して行く事は難しい。

 公共施設や社会資本などは量的な充足だけではなく、それらが適切に機能するように常にメンテナンスされているということへの思いや認識をもっと多くの人に持ってもらいたいものだ。またそれらが万が一にも使えなくなったときの代替機能や補完機能をどうするのかという危機管理上の課題にも答えを見出しておかなくてはならない。

 一般市民が枕を高くして寝ている間にもそれらの機能保持を一生懸命に行っているのが我々の仲間だが、管理のためのコストが年々減らされて行くのに耐え、自分たちの役割を伝えようとしても我田引水ということで片づけられてしまうのが残念だ。

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 先週の木曜日に、大雪で通行がしづらくなっている道路を改良するための資料として現場の現況写真を撮ろうとして職員の一人が交通事故で殉職した。家庭も子供もある40代の職務に忠実で優秀なだったが、こういう職員を失った事は組織にとっても大きな損失だ。

 身の回りで、世の中が当たり前に機能する事を支えているのが誰かということにときどき考えてみてそのことに気づくときっと謙虚になれるだろう。
 世の中は決して自分だけで成り立っているわけではない、そして自分もこの社会を支える一人になっていると思えれば、世の中はやはり生きるに値するものだ。

 亡くなった職員に心からの冥福をお祈りしたい。 合掌 



 


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こままさ