掛川奮闘記

2006年01月05日(木) 060105_その一瞬のチャンス

 まだ正月気分が残っているものの、全国的に悪天候が猛威をふるっています。

 今朝は小樽からの高速道路が通行止めでバスのダイヤが大幅に乱れていました。雪も深々と降っています。

 今日は
■その一瞬のチャンス です。

【その一瞬のチャンス】
 まだ松の内は年頭の挨拶に多くの方が訪れてくださる。普段は滅多に来ないような方も名刺を持って来られるのだが、何しろ普段から会ってお話をしているわけではないのでなかなかどういう方だったかを思い出すのに苦労する。

 挨拶と言っても名刺を配ってお決まりの口上を述べるというものが中心なので、どういうバックグラウンドをお持ちなのかを知る術もない。

 中には昔お世話になったOBさん達もいて、そういう方なら人となりも分かるし共通の話題もあるので少しは近況を訊ねあうような会話も成立するのだが、互いにそこまでの関係にするのには相当の時間がかかるものだ。

 お互いに少しでも共通の苦労をしたり考え方をぶつけ合う事で固い心の殻を破って人間性をふれあわせるものだが、一瞬の挨拶の中にはそういう要素はほとんどない。

 逆にもう昔にそういう関係性を構築してしまった人との挨拶という側面が強いのだろう。そうだとすれば、あまり道内の現場に縁の少ない私には挨拶するメリットはあまりないようなものだ。
 
    *   *   *   * 

 掛川で三年間仕えた榛村前市長は、月に2〜3度は東京へ出かける用事があって、その時は欠かさず霞ヶ関界隈を練り歩いたものだ。国交省、農水省、文科省などは顔の利く官庁で、よく幹部の部屋などへずかずかと入っていって随行するこちら側は(お邪魔じゃないのかな)と冷や冷やしたものだ。

 榛村さんはそんな訪問の際には必ず自分が今課題だと思っている事柄を自分自身でA4一枚にまとめたレジメを数種類持ち歩いていた。そして相手を見ながらレジメを使い分けて「今こういう事を課題に思っているのですよ」と自分の考え方を相手に提供したものだ。
 そしてそのあとには必ず「どうでしょう、何か良い考えはありませんかねえ…」と問いを投げかけて、相手からも何かを引き出すのを得意にしていた。榛村さんは「話すだけじゃダメなんだ、相手は次の瞬間に忘れてしまうから。だからいなくなったあとでも思い出すようなものを残しておかなくては」と良く教えてくれた。

 そうして例えば昔の国土庁の高官からは「地方の生の現場事情を面白く教えてくれる重宝な首長」として可愛がられたものだそうで、そうやって情報を提供しまくる事で逆になにかあると「榛村さんを呼んで地方の意見を聞いてみよう」という立場になって行き存在価値をどんどん高めていったのだ。

 霞ヶ関の役人の方も、わざわざ訊ねてきてくれて地方の状況を教えてくれれば、何か与えないと悪いような気がして気を遣ってくれるものだ。何か与えるものがないときは、担当者を紹介してくださって「何かあったら彼に相談してください」と言ってくださる事も多かった。
 紹介による役人の人脈ほどありがたいものはない。今は若手でも、何人もそういう手駒を抱えていればその内の何人かは必ず偉くなるものである。

 榛村さんはそうやって自らの持っている情報や問題意識を相手に提供する事で相手からも相当の財産を得ていたのだ。

 だから彼が東京にいるときは常に寸暇を惜しんで人に会う。「もう疲れたから帰ろう」ということはなくて、自分が新しい出会いを重ねる事が市と市民の幸せに繋がるに違いないという覚悟に満ちた行動であるように私には思えた。

 挨拶は一瞬の出会いのチャンスなのだ。こちらはその瞬間に相手が心に何を秘めているかを見逃すまいとして身構えているのだ。

 そんなするどい出会い方をしなくても良いほど世の中は甘いのかもしれない。

 そしてその一瞬のために何時間も準備するという、そんなことを実践で教えてくれる良い手本が少なすぎるのだろう。

 人に会うにも良い会い方があるのだ。


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こままさ