掛川奮闘記

2005年12月19日(月) 051219_合成の先にあるものは

 会議のために町へ出たら道路の雪が融けてぐちゃぐちゃ。なんと今日は暖かかったんですね。

 さて今日は
■合成の先に の1本です。

【合成の先に】
 観光の会議があった。
 いろいろな議論があったあとで、年度末に向けて各機関がやれること、やるつもりのことを帳票に記載して集めてみよう、と座長から提案があった。

 私はそうではないと思い意見を述べた。「各機関がやるつもりのことをそれぞれ書いて提出すれば、事務局はそれを重ねてホチキスで留めて資料は一丁上がりになるでしょう。しかしそれでは今までやってきてなかなかうまくいかなかった事と同じしゅほうなのではありませんか」

「国にしても道にしても市町村にしても、各機関はそれぞれに一生懸命に事業をやっているはずです。しかしそれをさらに真面目に推進してもその総和が全体として最適にならないという事が問題なのではないでしょうか」

「人間の身体も分解すれば、窒素と炭素と酸素と水素といくばくかの微量元素にわけられます。しかしそれらをいくら集めても人間になって動き出すという事はありません。要素を集めても全体として機能しない事が問題なのであって、それぞれの要素を相互に調整したり組み合わせたりできる能力が必要なのです。それが既存組織で出来るのならばそれでも結構です。しかしそれらが既存の組織で出来ないのだとすれば、どういう機能を持った組織が必要なのか、という答えになってくるのではありませんか」

「我々が求めているのは、要素をかき集めたときに命が吹き込まれて動き出すようなそういう状態なのだと思います」

 私としては少々言い過ぎた感もあったが正直な気持ちを述べた。既存の組織を悪者にして「解体すべきだ」などと言うのは短絡過ぎる。要は必要とされる機能が果たされることが大事だという事。

 これまでバラバラにやっていた事業があるのならば、持ち出しを半分にして持ち寄る事でより広く広域的に実施する事で効果的に推進する事だって出来るはずだ。そういう調整が出来ていないだけの事ではないか。

 「そのためにも市町村合併が必要だ」という人もいるかも知れない。現在の枠組みで出来ないのならばそういう意見もあるだろう。

 会議の後は忘年会を兼ねて立食でさらに意見交換を行った。この半年間にわたって意見を交わすことができて私には有意義な時間だった。来年もよろしくお願いします。

    *   *   *   * 

 要素を集めれば全体が完成するという幻想を我々はいだきがちだ。

 自分自身が一生懸命幸せになって幸せな個人が集まれば、その集合は幸せな社会になるというのも幻想なのかもしれない。

 今日の経済学は、「幸せを求めて移動する経済至上主義な人間(ホモ・エコノミクス)」を仮定して理論を構築しているが、それが現実に必ずしも適合していないという感覚は誰しもが持っているのではないか。

 幸せな社会は今の社会の延長線上にしか現れない。

 それはまさに、命が命からしか生まれないと言う事と同じなのだ。個人の幸せを求めながら、それらが集まった社会は個人の幸せの集合とは別個に存在するのだ。

 だからこそ我々は心を尽くして今の社会全体に目をこらし、全体として機能するような社会になるよう努めていかなくてはならないのだ。

 そのために必要な事はまず一人一人が背筋を伸ばして、目の前の小さなことを真面目に行うことだ。自分がなにかを人のために差し出すことの積み重ねこそが幸せの源だ。

 それが我々のためであり、この社会をこれまでにしてくれた先祖のためであり、そしてこれから生まれてくる子孫のためなのだ。この世から旅立つ前に、先祖から受け継いだ鎖に一つだけ環を重ねていきたいものである。

 


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こままさ