| 2005年07月17日(日) |
050717_日本と東京を知る旅 |
昨日の同窓会の夜は東京泊まり。東京は暑いです!
今日は、 ■東京見物〜浅草編 ■東京見物〜上野編 の2本です。
【東京見物〜浅草編】 飛行機が夕方の便にしてあったので、それまでの時間で今まで言った事のない東京見物を決め込み、浅草へと向かう。東京に住んでいた割に、田舎者は東京を楽しむという事ができずにいたので、今になってなんとか見聞を広めたいと思ったのである。
映画「フーテンの寅さん」もあまり見た事がない私には浅草は初めてで、地下鉄駅から歩いて雷門の前に立つと、こういう賑わいが東京なのだな、と改めて感心する。
雷門から浅草寺までのメインストリートは仲見世通りで幅二間ほどの間口でおみやげ屋さんがずらりと並んでいる。周りは外人さんも多く、日本有数の観光地を楽しんでいるようだ。肝心の日本人である私の方が初めてだというのだから、まだまだ自分自身が日本を知らない、ということは情けない限りであった。
さてこの浅草寺、その縁起を訪ねると推古天皇36年(628)のある朝、檜前浜成(ひのくまのはまなり)と竹成(たけなり)の兄弟が江戸浦(現在の隅田川)で投網中に一体の仏像を拾い上げ、これを郷司であった土師中知(はじのなかとも)に見せたところ、「聖観世音菩薩」のお像であることを知り、以来この3人で深く帰依したというのが浅草寺、ということなのだそうだ。
長野の善光寺の縁起もやはり仏像を拾うという話から始まっているが、このころの仏教の布教の様子が知れて面白い。
もちろんその後も、鎌倉時代や江戸時代に時の政権が深くこれを認めたという事もあって一大民間信仰の拠点として今日に至っているのだ。
私はどちらかというと神社の方に興味があるので、大伽藍の右側にひっそりとある浅草神社の方にもしっかりとお参りをする。するとここには浅草神社(三社)
地元のホームページを見ると【土師氏の没後、舒明11年(639年)3月18日、その嫡子が観世音の夢告を蒙り、 「汝らの親は我を海中より上げて薫護せり、故に慈悲を万人に施し今日に及びしが、 その感得供養の力は賞すべきなり。即ち観音堂の傍らに神として親達を鎮守すべし。 名付けて三社権現と称し、祀り奉らば、その子孫土地と共に繁栄せしむべし」という 告示があり、ここに三社権現社が創建された】とあり、仏像を拾った事を感心に思い、神社を造れと指示したという、当時の神仏混淆の有様が伺えて実に面白い。
三社さんとは仏像を拾い上げた檜前浜成(ひのくまのはまなり)と竹成(たけなり)の兄弟と、さらに土師中知(はじのなかとも)の三人をお祭りしたところから来た名称だという事を始めて知ったし、「明治の神仏分離令によって浅草神社とした」ということなので、それまでは一体だったのだろうな、とこれもまた面白いことだ。
今では掛川と合併した大須賀町には三熊野神社があって、「この略称を三社さんという」と思っていたら「三熊野神社は三社さんとは言いませんよ」と言われて、そうかと思っていたところなので、これでまた一つ私の中の理解が深まったわけだ。これもまたご縁である。
それにしても、なんでもありの民間信仰のスタイルで日本人のおおらかさが伺えるのだけれど、外人さんにこの文化を説明できるかということになると、神仏の違いやら神仏習合の時代やら、仏像とは何か、神社とは何かといった基本的な日本語の知識が必要で、(多くの日本人は、こういう信仰文化をきっと説明出来ないだろうなあ)と思うのである。 日本人の「宗教的おおらかさ」と言ってしまえばそれまでだけれど、「自国の文化」を表現する訓練の不足や、信仰や宗教に対してタブーを感じさせる風潮はなんとかしないといけないと思う。まあ「面白いなあ」と思うことが第一歩なのだけれど、日本の歴史を各時代ごとに輪切りにするのではなく、信仰史や宗教史などの一本筋の通った見方で見てみると、本当に面白いと思うのだ。
原始神道は仏教的思想と融合しながら変化した変遷があるし、一方で仏教の側での日本人に好まれる要素取り入れて、本来のインド仏教からは姿形を変えた日本仏教という姿になっているのだ。死者を弔うときの四十九日なんて、なんと神道的なことかと思うね。お釈迦様はそんな事言ってないんだもの。
いろいろなことがあるけれど、確かに浅草は日本を感じる事のできる格好のスポットである事は間違いがない。皆さん、こぞって行きましょう。 * * * *
浅草寺見物を終えて(さて次に上野にはどう行こうかな)と、あるお店の前で手帳を見ながら地下鉄の接続を調べていたら、掃除機のフィルターをはたいていた店のおじさんと目があって、「大丈夫?分かる?」とにこにこと声を掛けてくれた。
私の出で立ちが、さもお上りさんという風に見えたのだろう。こういう会話が古き良き日本なんだな、と感じさせるところである。日本っていいな。
Yokoso Japan!
【東京見物〜上野編】 その足で今度は上野の美術館、博物館を巡る。何か面白い催しはないものかと思って歩いていると、国立科学博物館では「縄文VS弥生」という企画展示が昨日から始まったばかりということを知って、早速行ってみた。
これまで弥生時代の始まりは土器と一緒に出る鏡のスタイルを中国のそれと比較して紀元前3世紀から紀元3世紀くらいと考えられていたのが、最近の科学の進歩の結果、弥生時代の土器に付着する耳かき一杯ほどのおコゲから炭素14による年代測定ができるようになり、その結果通説よりも500年ほども遡るということが分かってきたのだという。
また高知県には縄文時代の人々と弥生時代の人々が25kmくらいの距離で同時代に生きていたという遺稿が出ていて、文化的な融合が相当の時間を掛けて行われた事も分かってきたのだという。
弥生時代の遺稿から保存状態が良い形で発見されたという木製道具なども展示してあって、当時の人々の生活が次第に明らかになりつつあるようだ。
ところで弥生時代の「弥生」って、始めてこの特徴的な土器が見つかった東京大学農学部の地名だったって知っていましたか?
たまにはこういう知的興奮は良いものだ。やっぱり都会の良さだな。
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