掛川奮闘記

2005年05月09日(月) 050509_夢懇談会と私の文体

 寒い!いや、本当に寒い5月となりました。札幌のソメイヨシノの基準木は北海道神宮にあるのだそうですが、まだ開花宣言していなかったのだそうです。むーん。

 ただいま「掛川奮闘記」から「北の心の開拓記」ブログへの移行推進運動中です。こちらへの移行をよろしくお願いします。

 
 さて今日は、
■北海道夢未来懇談会
■文体について の2本です。

【北海道夢未来懇談会】
 局長が北海道内の若手を集めて、自由なプレゼンテーションと議論を行う、「夢未来懇談会」という集まりが昨年から定期的に開催されているという。

 今日はその第6回目があるというので、担当の友人に「後ろで聞いていて良いですか?」と尋ねると、「多分マスコミ用の席が余っているのでいいと思いますよ」とのことで、末席に潜り込んだ。

 この夢未来懇談会の開催趣旨は、「この現下の社会環境にあって、北海道の長期ビジョンや将来像を共有して地域間競争に挑むことが必要」、「しかし現在はその議論が行われているとは言い難く、北海道の将来像は何かという道民的議論が必要」という問題意識に立っている。

 そのうえで「このため、北海道開発局ではその場を提供し道民的議論のきっかけを作ることを目的として、20〜30年後の北海道の中核を担うであろう若手に集まっていただき、北海道の将来ビジョンを形成・共有するための議論を幅広く展開することとした」のである。

 今日は全部で18人ほどいる委員の中から3人が思うところをプレゼンテーションした。

 一人目は北見工大のT先生。切り口は「北海道における安心・安全風土の形成」というもので、防災や災害のリスクに対する考え方をご披露。
 防災も環境問題も、社会的な課題は住民から切り離して行政がサービスしてしまうと、とたんに意識から消えてしまうので、行政側としては勇気を持ってサービスしすぎないことが必要だと、私は思います。

 自助、共助、公助というけれど、広範で大規模な自身のような災害となると、公助ではとても追いつかないので、まずは自助、そして地域による共助の体制が必要なので、こういうことを当たり前に思ってくれる、地域力という見えない財産を育てなくてはいけないんだな。

 公共施設のハード整備ではおいつかない分野ではありますが。

    *   *   *   * 

 次は中国から来ているCさん。Cさんの切り口は少々話題性も含めて「北海道人口1000万人戦略」

 北海道が疲弊している現状から、逆に人口を増やせる好条件として、広い面積、食糧自給率、安くて広い住居環境、新しい歴史と文化などを挙げ、まずはビジョンを共有しようと言う。

 それは「北海道の未来像を明確にする、道民全体の未来像を共有すること、未来像の宣伝をすること」が必要だとして、話の肝は「海外からの労働力を本格的に呼び込んではどうか」というもの。

 200万人くらいは外国から呼べるし、北海道を移民の特区のようにしてはどうか、という発想である。併せて観光人口の増加も忘れない。お話としては面白いところだ。

 これを聞いていた外人さんの委員の一人のコメントが面白かった。

 それは「なぜ日本は安い労働力をいれようとするのですか?」というもので、「私は一定以上のお金持ちなら永住のビザを発給するという施策の方が有効だと思う。実際イギリスはたしか40万ポンド以上の投資をした人にはビザを発給していますよ。お金で永住を売ると言われるとその通りだけれど、その方が儲かるじゃないですか」というもの。

 ニセコに住むその委員は「今ニセコには多くのオーストラリア人がこぞって来道していますが、日本文化を残す努力をしてくれないと、本当にニセコはオーストラリアの一つの州になってしまいそうだ、と感じることがある」と嘆いている。

 このあと、なぜ日本社会は外人に対して閉鎖的か、とかどうすればよいかといった興味深い意見交換が続いたが、長くなるのでこの辺で。

    *   *   *   * 

 最後に登場したのは某広告会社へ勤める、Yさん。

 Yさんの切り口は「北から動く。北から動かす」というもので、サブタイトルが「分散している無数の運動を大きな潮流へ」というもの。

 具体のプレゼンテーションは、特に環境問題を取り上げつつ、「多くの人がそれぞれ高い意識で環境対策を個人レベルでもしているのだが、それが大きなうねりになってこないのは、ばらばらに行動しているから」と位置づける。

 そこで例えば地球温暖化防止のために、「単位」と「目標」を明確にしようと提案する。

 じぶんのこの行動は1単位だとか、5単位だといった共通の同じ尺度で測ろうという運動である。その単位として、「Mottainai(もったいない)」はどうか、という。

 例えば100gの二酸化炭素削減を1Mottainaiとカウントするのである。

 この「Mottainai」は、2003年3月5日の国連「女性の地位向上委員会」閣僚級会合の場で、ケニア環境副大臣のワンガリ・マータイさん(ノーベル平和賞受賞者)が日本語の「もったいない」を環境保護の合い言葉として紹介した、ということがあって、「いまこれをシンボリックな単位として打ち出せば話題になるのでは」という提案であった。
 さすがは広告代理店である。

 もう一つ感心したのは、「これだけの人が集まっているのだから、ただ言いっぱなしではそれこそ『もったいない』ので、なにか行動にしたいですね」と言ったことである。

 二宮尊徳的に言えば、「お釈迦様や孔子様をはじめ、良いことは大概言い尽くした。我はただ実践あるのみ」ということになるのだろう。

 もうビジョンを語る時期は終わって、気づいたところから行動する。そして同志が同じ方向へ向かう求心力を発揮しなくてはならないが、それはムーブメントや流行という一時的なものではなくて、真に人の心に訴えかける強い真実を含んでいなくてはならないように思う。
 
 そう言う意味で、彼女が「行動にしましょうよ」と言うのには共感できるものがあった。参加していた委員がどれだけ行動に移せるものか、見物である。

 おっと、私も実践あるのみですが。



【文体について】
 夜に、新聞記者にして物書きのAさんと久しぶりに会って飲んでいて、私の本のことになり、「小松さんの本の文章って『だ・である』調で書いているでしょう?」と言う。

 「そうですね」
 「でもなんだかその一節を思い出すときに『です・ます』調だったかな?と思うんですよ。で、読み返してみるとやっぱり『だ・である』調なんですよね」

 「それはどういう意味ですか?」
 「普通、『だ・である』調はトーンがきついんですよね。でもなんだか内容が優しい内容だったように思い出すんですよ。これって内容もそうだけど、文章力のような気がするんですよ」

 「へえ、そんなもんですか」
 「それと、お嬢さんのことも含めていろんなものをさらけ出しちゃってるでしょう?あれが強いんだと思うんですよ」

 なるほど、そう言う見方もあるんですね。実際、自分の文体というものはなかなか定まらないものだということが私もよく分かりました。

 やはり普段からどれだけ文章を書いているか、ということのなかでふらついている文体が定まってくるように思う。

 それはまるでコントロールの悪いピッチャーが練習してコントロールを良くして行くようなもので、ねらったところへ投げる能力は、文体がある一点に収斂して行く力に似ているような気もします。

 やっぱりキーワードは「普段力」でしょうかね。

 


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こままさ