| 2005年04月19日(火) |
050419_シーニック・バイウェイ北海道へなだれ込む |
なんだか気ぜわしくて、なかなか開拓記が書けないでいて、掛川から知ったと激励のメールが飛び交う今日この頃です。
さて今日は、 ■北海道土木遺産 ■シーニック・バイウェイ説明会 ■そろそろ志の会う方を の3本です。
【北海道土木遺産】 前任者からの引き継ぎ事項の一つが、土木学会北海道支部で作成している、北海道土木遺産のパンフレット作成の話。
北海道にはその昔、当時の土木技術者がその技の粋を極めた土木施設が今でも立派に活用されていて、歴史の浅い北海道ながらその中でも歴史的な一瞬を今に残している。
代表的なものは、旭川の旭橋、十勝川の千代田堰堤、などですが、私がかつて住んでいた稚内にも有名な土木遺産があります。
それは稚内港北防波堤ドームで、昭和11年に建設され、昭和55年に復元されています。
弱冠26歳のエンジニア土谷実の設計になるアーチ型ドームの造形は、世界にその類を見ない実にすばらしい構造日であり、樺太航路の船舶、列車と人々を波浪から守るための苦心の作なのです。
一度我が国の北の果てまでお越しください。
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また、北海道の屋根を越える旧狩勝線も北海道土木遺産に認定されています。
これは明治30年代に建設が始まり、旭川を起点としてトンネルと盛土の連続で狩勝峠を越えて西へ向かう北海道拓殖の一大事業でした。
この十勝新線は明治40年に開業し、昭和41年に新線に切り替わったことでその使命を終えましたが、数多くのトンネルスイッチバックで北海道の背骨を超えるという大変な路線でした。
なかでも新内付近の大カーブは長大盛土による美しいカーブで、今では線路が取り払われていて盛土だけが残されています。
こうした先人たちの苦労が今につながっていることを我々は忘れてはならないんですねえ。
私たちの今の最先端技術が戦陣の苦労に結びついているという実感を持つことは意義が深いと思います。
身近にそんな土木遺産はありませんか?
【シーニック・バイウェイ説明会】 空知地区の団体がシーニック・バイウェイ北海道に関して説明をして欲しいというので、道路部隊からY君が説明に行くという。
シーニック・バイウェイとは、「北海道固有の景観、自然、歴史、文化などの地域資源を活用して美しく個性的な北海道を実現するために、地域の発案の下に、地域住民と行政が連携して美しい景観づくりは活力ある地域作り、魅力ある観光空間づくりを推進するもの」ということになっていますが、要は地域にやる気があれば行政が応援して、道を中心として地域活動に連携してもらおうというものなのです。
元々はアメリカで始まった地域資源の発掘政策ですが、シーニック(=景色の美しい)、バイウェイ(=脇道・寄り道)という意味で、ただただ目的地に向かって走るだけの高速道路からちょいと降りて、その地域を味わいましょう、というものである。
道内には風景の美しい一連の道路区間がいくつも存在するので、そこをよりどころとして様々な地域活動を行っている団体や自治体が連携をして互いにできることを持ち寄れば、魅力ある地域になりうるはずなのである。
このことを北海道開発局ではアメリカの政策にヒントを得て、本省よりもさきに、実験的に展開をして今やこれが本性施策にも取り上げられたという、先駆的な優等生事業になったのである。
しかしそのことだけを喜んでばかりもいられないのは当然で、そういうものに乗っかることで地域ブランド力を高めて、良い意味で地域間競争に勝っていかなければならないのである。
空知地区では、私も奈井江町に本部のある北海道蕎麦研究会に入っているが、蕎麦をはじめとして米、花、滝、湿原、温泉など案外豊かな見所があるのである。
これらを有機的に結びつけることができれば、車のドライブで走って楽しい 、止まって楽しいドライブコースになるのではなかろうか。
かつて道の駅誕生の時に一生懸命に立ち上げを行った経験のある私としては、点で迎える道の駅に対して、線で楽しもうというのが今回のシーニック・バイウェイ北海道であるように思われる。
この事業を実験的に展開することで、今まで知らなかった団体同士が知り合うようになって良かった、などといった声も寄せられているそうだ。
要は地域のつながり、関係性なのでしょう。ほうら、ここでも生涯学習の芽が伺えますよ。
老舗の掛川に負けないように、私は種を蒔きましょう。
シーニック・バイウェイの刈り取りは次の世代かもしれませんが、誰かが種を蒔けば誰かがきっと刈ってくれるということを期待しようではありませんか。
【そろそろ志の会う方を】 会合で説明に立っていたY君やその仲間たちとすっかり意気投合して、二次会、三次会へと向かう。
懇談会では私もスピーチの時間を与えられて、本の宣伝をさせていただきました。
なにしろこの会では40冊という大口の注文をいただいておりましたので、頭が上がらないのでありますよ。
私が本を書いたという話をしたら、某マスコミ系のAさんが「実は私も…」と言い出して、一冊の本を手渡してくれた。
「このなかにペンネームですけど、私が一節を書いています」とのこと。 なるほど、じっくり読ませていただきましょう。
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このシーニック・バイウェイ北海道も、もう3年目を迎えていながら実は初期の頃にはいったい何をしようとしているのかがもやっとしていて、つかみどころのない地域振興策として受け止められていたようだ。
そのころから先頭に立って、公私にわたって活躍をしたのがY君なのだが、口の悪い人は「YでなければわからないYプロジェクトなんだ」という。
「小松さん、どうしてYプロジェクトだ、なんて言われるかわかりますか?」 「それがわからないんですよ、どうして?」
「結局、例のないことをしているので誰も何をして良いかわからないままスタートしたんですけど、誰がそれの面倒を見ているのか、ということになると、結局僕しかいなかったんですよ。プライベートも使って、地域の応援を続けたことでやっと少しずつ信頼を得てきたんですけど、そのことがなかなかやらない人にはわからず、『Yしかわからない…』と言われてしまっているんですけど」 「ノウハウは人に蓄積するからね。結局背負ってしまった人間がやるしかないんですよ」
「今まで一人でやってきたので、今回小松さんやH君が北海道に帰ってきたことで心強いんですよ」 「そういうことのために、身を持ってきたんだからね。ぼちぼちやるさ」
職場を出たときには2時間くらいで戻るつもりで何も持たずに飛び出したのだが、思わずなだれ込んでしまって、気づいたら夜の1時半であった。
そのまま鞄も持たずに家に帰る羽目になってしまった。
やれやれ、そろそろ北海道でなだれ込みが始まってきたようだ。どんなことになりますやら…(^-^;)
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