| 2005年02月17日(木) |
050217_足助町をお訪ねしました |
追加の原稿が書けなーい。前書きと後書きも書けなーい、です。
さて今日は、 ■静岡空港の市長会町村会合同陳情 ■開発公社視察〜足助町 の2本です。
【静岡空港の市長会町村会合同陳情】 昼の11時半に県庁で待ち合わせをして、県内の市長会と町村会による合同の静岡空港整備促進陳情を石川静岡県知事に対して行う。
市長会からは会長の小嶋善吉静岡市長、島田市長、伊豆市長、藤枝市長が参加、助役として掛川と磐田市が参加をした。
町村会からも町村会会長ほか、数名が参加して知事室へ石川知事をお訪ねした。
会談の内容はオープンに公開されていたので、報道陣も待ちかまえていて、カメラを回しシャッターを切る。
市長会からは「これまで全国有数の物づくり県、観光県として交流をベースにした繁栄を続けてきたが、高速交通網の整備に伴ってその優位性も薄れつつある」と分析。
「本県が将来にわたって地域間競争を勝ち抜いて行くためには、成長著しいアジアを中心とした地球規模での産業・観光・交流の拡大が必要である」と論じる。
要は、現在の用地問題での難航が空港開設の遅れにつながる現状に鑑みて、整備を促進して欲しい、という陳情である。
知事からは「総理の『Yokoso Japan』で、海外からの入れ込みを500万人から1000万人に拡大せよ、という指示が出て、三種空港に対する外国航路への補助制度が出来たと聞いた。地方空港も海外客を受け入れを担う時代になりつつあるのかも知れない」という発言。
また「関西交流会で大阪の阪急ホテルへ泊まったところ、ホテルが台湾ファミリーでごった返していた。台湾や中国が旧正月で休みと言うこともあるだろうが、団体旅行ではなく、個人旅行の人たちがやたら目についた。こういう流れは一層加速するに違いない、と思った」とも。
静岡空港は資料によると、ソウル、上海、香港、台北などのアジア方面を中心に国際線の就航を目指しているとのこと。アジアの静岡になれるかどうかが鍵だ。
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会談の中で、「知事、空港名は現在静岡空港となっているが、これは静岡県以外には不評だ。『富士山空港』というのはどうですか?」という質問がとんだ。すると知事は
「静岡空港というのは書類上の設置許可名になっているのであって、これから愛称などもどうつけられるかを検討する余地はある」とのこと。
回りからは「静岡空港だと、周辺他県からよそのことと思われがちになるので、富士山を中心とする空港で親近感を増すということが考えられる」という意見が出た。
それもまた一つのアイディアだろう。何という名前や愛称になるのかが楽しみだ。
この会談が中部国際空港セントレアの開港の翌日、というタイミングに全員苦笑いをしていたが、あちらはあちら、こちらはこちらである。
静岡空港が出来れば、札幌までの時間距離は格段に早くなる。北海道と静岡が身近になるためにも、建設の促進をして頂きたいものだ。
【開発公社視察〜足助町】 午後に、開発公社の理事と事務局による県外視察に出発する。
今回は、今日の午後が愛知県の足助町、明日が犬山市と刈谷市という行程である。
そんなわけで今日の行程は、まず愛知県の足助町をお訪ねする
足助町は、愛知県の東北部に位置して豊田市の東に隣接する人口約1万人の小さな町である。
ここはかつて、三河湾で取れた塩を矢作川で現在の豊田市まで船運で上り、そこから足助まで荷馬車で運ばれた、塩の中継地点だったという。
足助は江戸時代は宿場町として栄え、塩の「中継馬」がなまった「中馬街道」の宿場だったのである。
それが、中央線の開通で宿場町としての意味は消えた、また昭和30年代後半からは隣接する豊田市で自動車産業が盛んになったことから働き手はみな豊田市へと向かい、人口減少が始まったのである。
昭和40年頃から、町の渓流や自然、文化などの資源を活かした体験観光を試行的に始める人たちが現れ、それが昭和55年の三州足助屋敷として花開く。
ここには、売らんかなの物販ではない、地域の誇りと生き生きとした生活そのものが詰まっているのである。
これが足助の売り物。
実は足助では、大正時代に既に先人達が、当時はまだ木材に値段が付いていた頃に檜などを切って紅葉を植えて百年後の美しい紅葉山を作ってきたという歴史がある。
農水省へ行って、「まちづくりで農水省としてお勧めのところはどこですか」と訊くと、必ず出てくるのが、兵庫県八千代町、山形県金山町、そして愛知県の足助町である。
足助では、平成2年から「百年草」という福祉センターを開設した。これからのお年寄りは行政が保護をする対象なのではなくて、元気なうちは期待を受けてやり甲斐のある仕事をすることを通じて健康で生き甲斐のある暮らしをすべきだというコンセプトに基づいた施設だ。
そこで、このなかには「zizi工房」というハム工房と「バーバラはうす」というパン工房を有していて、ここでシルバー人材センターに登録されたお年寄り達がハムやパンを作って観光客相手に商売をしている。
ネーミングは「ジジ」と「ババ」からである
今ではハムが年商1億円、パンでも数千万円を売るという。これからの本当の福祉を予感させる施設が、ここにはある。
ハムなどは材料は全て町外から持ち込んだものである。地産地消とはいいながら、実際には農業に適した地形が少ないところではどうしても地産地消も出来はしない。
しかしそれでも、住民達が頑張って、その心に共感が得られれば、名物は出来るという見本である。
要はやる気の問題なのかもしれない。
しかし足助も市町村合併の波には逆らえずに、この4月に隣接する豊田市と合併をするのだそうだ。
足助町という町は消えるけれど、その精神はこの土地に息づいて行くだろう。そうでなければ合併した意味もないのである。
頑張れ足助町、そして足助の皆さん。
紅葉の時だけに行くのではなく、違った足助も見なくてはなるまい。
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原稿の「前書き」がようやく出来たので、編集の鬼雅に送付。これでいいかや〜?
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