掛川奮闘記

2004年12月02日(木) 041202_古事記は神話なのである

 季節の変わり目で、回りにも風邪を引く人が多く見受けられます。暖かくして油断せず、気を引き締めて行きましょう。

 さて今日は、
■歪められた日本神話 の1本です。

【歪められた日本神話】
 久しぶりに痛快な本を読んだ。タイトルは「歪められた日本神話(萩野貞樹著 PHP新書289)」である。

 「古事記」、「日本書紀」は我が祖先が生み出した立派な国造り文学であり、古事記は神話という形を取って我が国の成り立ちを教えてくれる。
 
 古事記の神代記に現れる神々は特に個性豊かであり、泣いて笑って喧嘩して、ちょっとエッチで豪快で、摩訶不思議で、変幻自在で、スーパーウルトラヒーロー&ヒロインたちの集合である。

 それはそれでそのままに受け止めて、古代人の創造力の豊かさを楽しめばよい…、とそう思うのだが、そういう興味を持っていろいろと知識人の本などを読み進むと、どうもこれは文字通りに受け止めるのは誤りで、この神話の成り立ちには当時の政治状況が陰に日向に影響している、という風説が聞こえてくる。

 古事記の成り立ちには、古来から史実反映説、創作説、政治宣伝文書説などがあって、まさに諸説紛々という様相。

 そんななかにあって、なんとなく多くの日本人が信じているのは、古事記の内容は遠い昔にあった史実を反映している、という説ではなかろうか。

 この説によれば、八岐大蛇は川のことで、それを退治したのは治水が完了したと言うことだし、八岐大蛇を退治して剣が出てきたのは鉄の産地の川というわけ。

 特に読者ウケをしたのが梅原猛らが説いた、「天照大神は当時の女性天皇である元明天皇か持統天皇の姿が神話の形で投影されたものだ」という立場である。

 神話の中で天照大神が天孫降臨を孫に当たるホノニニギノミコトに命じたのは、持統天皇が本来息子である草壁皇子に皇位を譲ろうとしたときに草壁皇子がなくなってしまったために、孫に当たる軽皇子(後の文武天皇)に譲ろうとしてそれを正当化する前例が必要だった、というものである。

 著者はこういう類の話を、世界中の神話に見られる類似性や、これ以外にもなにか当時の歴史背景と関連があるのかどうかといった問いかけの中から、「珍説」と一刀両断にする。

 世界中に弟や孫が登場する神話の類は数多くあるし、それらが全て成立した当時の歴史を反映しているとは到底思えないのだ。

 なぜ日本の神話だけが、史実を反映していたり、政治的な宣伝文書だったりするということがあるのだろうか。やはり神話は文字通り、神話として読むのが正しい姿なのではないか、と著者は問いかける。

 そうして改めて神話を神話として読もうとしない、狭量な戦後イデオロギーの世界をやんわりと批判する。

 八岐大蛇の頭が八つあるということは奇想天外なのではない。ヘラクレスが退治した怪蛇ヒュードラーだって頭は九つあったのだ。

    ※    ※    ※    ※

 神話を合理的に解釈するのはよそう、と著者は説く。私自身、何かすっきりしなかったものがすっきりした思いである。

 余計な先入観を捨てて、改めてそのままに神話を読もう、楽しもうよ。

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 ちなみに、古事記ではじめて現れた神は、アメノミナカヌシノカミで、続いてタカミムスヒノカミ、そしてカミムスヒノカミが登場する。

 物語をずっと下ると、やがて因幡の白ウサギや海幸彦山幸彦が登場する。私は幼稚園の時に海幸彦の役で劇をやりました。

 今は外国の童話はやっても、日本の神話劇をやることがなくなったのではないだろうか。ダイナミックな祖先の物語を味わう機会を持ちたいものだ。

 だって日本人なんだもの。


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