掛川奮闘記

2004年08月15日(日) 040815_戦没者追悼式

【萩間地区の夏祭り】
 10時から始まる、原泉は萩間地区の夏祭りに出かける。以前から区長さんを始めあちらこちらから「来て下さいよ」と声が掛かっていたのだ。

 掛川生活も2年4ヶ月を経過したが、縁ができて割と行く機会がある地区とそうでないところが出てくるもので、原野谷川の上流の萩間地区は良く行く地区の一つである。

 夏祭りの会場は原野谷川の河原にあるキャンプ場である。原野谷川には下流の水位上昇をコントロールする防災ダムがあるのだが、防災ダムを満水にしたときに最高水位が上がってくるくらいのところにあるのだそうだ。

 原野谷川は防災ダムの上流部分では水がきれいで、「川の源流部」という表現がぴったりの風景が広がっている。

 キャンプ場から下りた河原では、関係の皆さんが昨日から準備をして石を並べて水が溜まるようにしてある。ここで子どもたちは水着で楽しそうに泳いだり、水遊びをしている。

 川面に掛かる大木にはハンモックが縄のようにぶら下げられていて、子どもたちがターザンごっこに興じているし、別の溜まりでは鮎のつかみ取りも始まった。日本の夏がここにある。

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 地区の皆さんからは次から次に食べ物を勧められるが、食べきれるものではありませんがな。かき氷のサービスもあって、手動でがりがりと削るさまは実にスローライフだ。

 次回は秋の芋汁だそうだ。今日はありがとうございました。 


【戦没者追悼式】
 午後1時半からは、掛川市主催による平成16年度掛川市戦没者追悼式が生涯学習センターで行われた。

 私の役は開会の挨拶。その要旨は、「現在アテネオリンピックが始まって、柔道で金メダルが二個取れました。日の丸が振られ君が代が歌われるときに考えていることも、世代の間で変わっているように思われます」

 「今朝のテレビでは、『今日大学生の中に50年前に日本とアメリカが戦争をしたということを知らない者がいる、そんな時代になった』ということを言っていましたが、改めて我々が子孫に何を伝えて行かなくてはならないか、と言うことを考えさせられるお話しでした」

 「世界を見れば、イラクだけではなく戦争があちこちで続いています。平和の尊さを伝えて行くことが我々の使命だと思うのです」といったもの。

 年々、遺族の方も少なくなって行くし遺族の世代も変わって行くが、戦没者の問題を遺族会の皆さんのことと矮小化するのではなく、改めて60年前の我が国の近代史に何があったのか、ということを客観的に知らせる機会とする考えが重要だろう。

 なぜ日本が戦争を始めなくてはならなかったのかというその時代の訳や、東京裁判の真の意味、そして太平洋戦争後の世界の変化など、大人が子に語り継ぐことはたくさんある。問題は大人自身がそのことをもう知らなくなっているか知る必要がないと思っていることではないか。
 アテネオリンピックで日の丸を見ながら、誇りある国とは何かを考えてみるのも良いのではないかなあ。


【森町の花火】
 夜は森町に住むSさんから、「森の花火に来ませんか」というお誘いがあったのに乗っかって、森町のSさんのお家へ行く。

 行きはスローライフの井村さんと一緒に伺って、ビールを飲みながら花火が始まるのを待つ。

 Sさんの家は、天浜線の森町駅のすぐ近くにあって二階の縁台にゴザを敷いて眺める分には、川から打ち上げられる花火が丁度正面に高く見えて絶好のビューポイントなのだ。

 森の花火は一発打ち上がってから次が上がるまでに随分時間があって、そこが「スローな花火」的要素に満ちているのだ。

 数少ない花火で2時間たっぷり楽しませるには、無駄に打ち続けてはいけないのだ。そうかと言ってあまりに時間が離れすぎると観客の不満も溜まるので、そのぎりぎりをねらっているとしか思えないタイミングで、花火が打ち上がるのである。
 
 Sさんちの二階には友達も段々集まってきて賑やかになる。花火をゆっくりと堪能して、「日本の花火大会ってこんなものだったよね」ということを改めて思い出す。

 一体いつから大量の花火を打ち上げて何万人もの観客を呼ばないと行けないイベントになってしまったのだろうか。まさに大量消費型のイベントではないか。

 無駄な玉を打たずにゆっくりと楽しむ風情があっても良いように思うね。

 帰りは天浜線の掛川行き最終電車に揺られて帰る。今日は朝から気温が下がって涼しい一日となった。

 まだまだ暑さがぶり返すこともあるだろうけれど、夏も盛りを過ぎたことを示すような涼しさだった。子どもたちよ、夏休みの宿題は終わったかな?



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こままさ