店主雑感
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2002年05月11日(土) 個性

 現代社会の最大の過ちは、自由、独立、個
性、といった言葉の濫用にある。

 神がお造りになったのかどうかはひとまず
置くとして、人間も含めてすべての生き物は
本来自由で独立しているものであって、改め
てこれに目覚める必要はさらさらない。

 すべての生き物には個性や多様性は本来備
わっているものであって、改めてこれを心配
したり、育てたりしなくても良いし、まして
やこれを奪ったりすることは創造主以外には
出来っこないのである。

 「現代は個性を尊重し、独創性を育て、多
様性を容認する時代」

 一体なんのつもりでこんなばかげたことを
言うのか。

 こんなお気楽なことを言い出したのは、せ
いぜい、20世紀の後半に入ってからのこと
ではないかと思うが、19世紀以前にくらべ
て20世紀の後半にどれほどの天才が出現し
たというのか。

 考えてみるまでもない、じつにお寒い限り
である。

 何故だろう、人間の数は飛躍的に増えてい
るし、経済状態も良くなって、未来の芸術家
達に対する社会の理解や寛容度も比較になら
ぬ程進んでいるはずである。

 人類が人口20億に達したのは1930年
のことで、およそ15万年かかっているそう
だが、次の20億人が増えるのには、その後
たった45年しか要していない。
 更に20億増えるのに必要な時間は、20
数年という予測である。
 これでは今頃は、天才だらけになっている
はずなのだが。

 優れた音楽家が、それまで常識とされてき
たバッハ解釈を覆すような演奏をして聴衆に
感動を与えたり、一流のスポーツマンが、常
識を超えた発想の練習法や運動理論によって
輝かしい記録をうちたてる事と、日常の生活
感覚や立ち居振る舞いが、普通人と違って奇
矯である事との間には、何の関係もない。

 ここを勘違いして奇異に振る舞うことが、
才能ある証拠であるかの様に、未来の天才を
気取る俗物どもが後を絶たないのには、うん
ざりさせられる。

 愚にもつかない個性尊重教育の弊害である。



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