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2004年09月25日(土) 「不思議の里」の不思議たる所以

はい、こんにちは。

今日は、小鬼大王のところで問題になっている、日本の田舎について。
特にあたしの住む「不思議の里」について、検証させていただく。

我が町は 人 口 12,580人の町である。
町は、小学校区で区分されたいくつかの「村」に分かれているわけだが、今は「村」という呼び方はしない。
その仮称「村」がまた小さな「区」に分かれていて、それは「部落」と呼ばれる。部落は大きなところで、60戸ぐらい、我が「部落」は37戸である。

その部落がまた、「隣保」に分かれている。
我が「部落」は5つの隣保に分かれている。
あたしは、その3隣保(7軒)に所属している。
役場では、その隣保は「組」と呼ばれている。

たぶん、その隣保というのは、江戸時代の五人組制度の名残ではないかと思われる。

「隣保」は、生活共同体のようなものだ。

まず、一番大きなイベントは、葬儀。
同じ隣保のどなたかがなくなると、隣保員はその葬儀もろもろのために仕事を休むのは当たり前。
葬式というのは、葬儀屋とその家の親族が取り仕切るものだという感覚はない。隣保員が、葬儀一切を取り仕切る。
昔から伝わる隣保の風習にもとづいて、祭壇のセット、棺おけの手配、火葬場の手配、、、などなど。
ちょっと前までは土葬であったので、棺おけかつぎも墓穴ほり(これを寺人足というらしい)も全部隣保でやっていた。

さて、まだまだ未熟者であるあたしが今まで何をしたか。

まず、
・朝6時から公民館で炊き出し。だいたい、夜7時ぐらいまでかかる。
・我が家が「お寺さん」の休憩所になった場合は、8人のお寺さんにお食事をだし、酌婦をする(お経あげるのに、酒飲むなちゅうの)。
・祭壇の飾りを作ったこともあるぞ。
・小麦粉で団子をつくって、串にさす。この団子の固さと個数は決まっている。
柔らかすぎるとおっこちてしまうので、その加減が難しい。
・葬儀のある家の障子張り直し。

こんなことは、まだまだ楽なほう。
うちのじじなんかは長老なので、どこかで葬儀があると丸二日、家に帰られない。葬儀に関する諸々を知っている人が少なくなっているので、仕方ないわけだ。

不思議なことに、同じ隣保でないと手伝ってはいかんわけだ。
どれだけ親しい間柄でも、隣保が違うと手伝ってはいかんのだ。
このあたりが不思議の里の不思議たる所以。

葬儀に参列するのも隣保が違うと、一軒の家から一人と決まっていて、せんだって、養鶏をやっているところの奥さんがなくなったとき、我が家から父とあたしが参列していたので、変な顔をされた。
あたしは、同じ部落の同年代の方がなくなった、そんな単純な気持ちでお悔やみをしたかっただけなんだが。。

あっと、長くなった。

続きは、また。

次は、隣保の日常の役について。

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小春せんせ |MAIL