いっしょにいるだけでしあわせ。 となりにいるだけでしあわせ。 たあいもないはなしをしているじかんでさえしあわせ。
ということを、いつも別れ際に痛感して反省するのです。 今日という日を、当たり前のようになんとなく過ごしていなかったか、と。 うすいさんと共にいる時間は、もう1人でいる時間よりも多いと思うのですが。 だから、当たり前のように待ち合わせをして(もしくは迎えに来てもらって) 当たり前のように「またね」とわかれたい…というか、そうあるべきかなあ、と思ったり。 本当に毎日のように会っているはずなのに。 それでもやっぱり「おやすみ」と言って車を降りるのは毎回寂しいのです。 車を見送るのも切ない。
贅沢な話。
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