きりんの脱臼
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2003年02月25日(火) 村上きわみ

朝焼けをとりにゆくんだがんきうと鳴くかなしみの球体つれて  ひろたえみ


  ぷよぷよだよ
  水たっぷりたたえて 
  湖なのか 池なのか
  胸まで水がきたら逃げなきゃ
  くるしいくるしいって泣くとこ見たい?

凛子がなにか喋っている。さっきからずっとだ。
それはうわ言のようでもあり、念じているようでもある。
わたしは部屋の隅のソファに座ったまま凛子の声を聞きながす。問いかけても無駄なのだ。
彼女にはわたしの姿は見えていない。

  みっ ちゅらっ したしたっ とりゅっ
  これは水の音です水の音あなた聞こえていますか
  そっくりね つめたーいのね

しばらく耳をすませていると、ことばは次第に意味不明な音となり、やがて不規則な寝息
にかわっていった。読みかけの『近代詩鑑賞辞典』をふたたび開く。フランス・サンボリ
ズムについて特に知りたいわけではなかった。たまたま書棚にあった本を失敬してきただ
けだ。どのみち眠ることは許されていない。わたしが眠れば凛子の夢が冷えてしまう。

  つめたいよぉぉぉ
  泣き真似じゃないよぉ
  生き物でもないよぉ

「みみずく」という生き物がいる。昔、数日だけ家で預かったことがあった。怪我をして
いたのだったか。幼鳥というには少し大きく、しかしその仕草はどこかこころもとないと
ころがあった。べつだん、かわいらしい、とは思わなかった。眼が、こわかったのだ。
「みみずくという名前には〈水〉が含まれているねえ」と、餌をやりながら父が言った。

  雛のももいろの口のなかから
  濡れたリボンがでてくるのは
  きれいね

「あのこはもうじき死ぬよ」と、別の日、父は言った。「きまりだからね」と。
父の背広の袖口はいつも右だけ擦り切れていて、わたしにはそれが、父の、隠された呪詛
のしるしのように思えて仕方がなかった。この人を憎めたらいいのに。
「きれいなものばかり見ていて眼がつぶれてしまったお姫様のお話をしてあげよう」

凛子の喉がひくんとなった。そろそろ目覚めるころだろう。わたしは念入りに磨いておい
た鋏を手に、ゆっくりと椅子から立ち上がる。なんてうつくしい朝だ。


ひっぱってください 喉からするすると赤錆色のリボンがほらね  村上きわみ


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