それは、悲しい事。 |
存在を否定されると悲しい。 たとえ全てではなくても。
自分が自分たりえる事を知るために 拠って立つモノを否定されて それでも 立っていられるか?
自分を自分として認識する行為自体が 人間として立つ行為に他ならない。
では
それが否定されたとき 人は何をもって立てばいいというのだ?
かすかに残った自尊心か?
自己犠牲の愛か?
なけなしの誇りか?
自己の無知をさらけ出して なお 他人を否定するその行為自体が 己を無知だと触れ回っている行為だということに 気が付くべきだろう。
今すぐに。
願わくばその深く広い溝を埋め尽くす 幾千の愛と幾万の慈悲を此方に。
無知を知るという勇気をあなたに。
そして 心を満たす盃を私に。
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2005年01月31日(月)
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