帰りの切符を買ったのはいいが、その列車に乗るまでかなりの待ち時間があった。わざわざ寝台車を選ぶあたり、当時の自分の心持ちをよく現していると思う。不特定多数の人間と極力交わりたくない私が選択した旅程は見事なくらい人影の薄いものだった。帰りは米原駅からの乗車だったのでそこまで移動してからはただひたすら待ち続けようと思った。ただ考えるよりもずっと退屈だった。自分でもよくやったと思うが、午後の4時あたりから11時過ぎまで駅から離れずに何をしていたんだか(笑)。米原駅はとてもローカルな新幹線の駅だ。相まって寂しい街並みは日が暮れると照明の少なさで容易に想像がつく。それでいて駅のつくりはとても巨大だった。乗車券で入退場を繰り返しながら、その散策でかなりの時間を潰せたように思う。
さすがにやることがなくなった。人がいない場所を探すのも難しいが、古い駅にはそれなりの良さがある。ここもそのひとつで、ホームの端っこに乗車待ちの出来る待合室が設置されていたので、午後8時以降はそこに腰を落ち着けた。他の乗客は数人が入ってきただけでほとんど無人だった。なので考える時間はかなりあった。おもむろに手帳を取り出してこの旅について綴った。
私がこの旅で最も強く感じたことは自分でもとても意外なもので、その戸惑いが当時書いた自分の文章から読み取れる。 『それは自分に対する押し付けなんじゃないか』自殺を前提に生きている自分の内面に対する疑問。 『こうして一人で遠くにいるとやはりこの私でもさみしいのだろうか』脳みそが正直に欲する感情は当時の自分の抱いていた感覚と矛盾するものだった。
今思うとこれらは明らかにそれまでの私にはない、自分の中に現れた『変化』だった。ただ私はそこに全く気付かなかった。実際これを書いていてはじめて気付いて本人が驚いているくらいだ。なるほどねぇ〜って感じ(笑)。ただ現在私が思うのは、そういった昔の自分を客観視してはいないということだ。それは同時に若かった頃の私を受け入れられる、そういう人間になったということだ。ここから先の日記は、そんな自分に辿り着くまでの過程を綴っていくことになる。ただ相変わらず、先は長い(笑)。
|