あお日記

2002年12月03日(火) 天体観測


 嶋さんと私を結びつけたこの星空を2人で見上げるという約束は叶わなかった。当時の私はそういったことを思ってくれる彼女の気持ちや立場になって考えてみたことなど無かったに違いない。それは彼女だけでなく、私を取り巻く家族や友人たちも同じだったのだろう。今でこそそれは「若かった」といった一言で笑っていられることかもしれないが、同時にそれはいつまで経っても自分を締め上げる事実であることに変わりはない。確かに私は今現在においても未成熟で欠点だらけの人間である。だが、それを受け止める器くらいは大きくなった。それでもなお過去の自分を苦々しく思うのは、それが単純に度を越していたからだろう。そういった後悔の気持ちがあるから今の自分は存在しているのだ。


 当時の自分は別の面で後悔をしていた。再開した日記と天体観測は必然的に嶋さんを思い起こさせたようで、要約すれば、約束を果たせなかった自分自身の変化を悔いている。若いとはいえ、ここまでくるとバカである(笑)。

 この年の秋は土星が見ごろで、以前に叔父からもらった天体望遠鏡を持ち出し、ミルの自宅付近の河川敷でよく星を眺めたものだった。当時はまだマイカーなど持っていなかったので、出かける時は天体観測だろうがボウリングだろうが軽トラであった(笑)。私がミルと仲が良かったのは、趣味や趣向の一致による所が大きい。感じ方の方向は同じでも、考え方に決定的な隔たりがあった。その隔たりこそが彼と仲間たちを分かつものであり、徐々に私も彼の弁護に回る気持ちが薄れていったように思う。


 屈折望遠鏡の7センチではアンドロメダ大星雲の確認は困難であったが、土星の観測には十分だった。中学生の時に校庭で双眼鏡を覗いた時に感じた真新しさというか懐かしさが、土星の輪の向こうに見えているものだ。この時の私は、嶋さんの不在を彼女との接点であるこういったもので補えないかと思っていた。いつまでたっても忘れないのは新しい出会いがないだけのことであって、問題があるとすれば人間のほうではなくて、そういった環境に自分を置いていることだ。ただ残念ながら、私は自分の置かれた環境を変化させる気持ちはなかったし、そういった私を変える外圧を期待する気持ちも薄くなってきていた。


 そんなことを思っていたある日の夜、一匹の犬が我々のところに迷いこんできた。子犬ではあるが産み落とされてから人の手で育てられた感じがあり、すでに離乳くらいは済んでいる大きさだった。首輪は無く、おそらくは河川敷に捨てられたのだろう。

 直感的に私は自分がこいつを引き取ることになると思った。人の手をベロベロ舐めまくって離れようとしないこの犬を軽トラの助手席に乗せて持って帰った。あの時から現在まで、相変わらず車の中ではおすわりの出来ないままである(笑)。



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