あお日記

2002年11月23日(土) 七夕祭り


 隣町で毎年8月に行なわれる七夕祭りへ行こうと仲間内で計画が持ち上がった。各方面への折衝役はもっぱら住吉の役目だったと思うが、よくは覚えていない。すでに集団行動が億劫になっていた私は、久々に仲間に会うというのに、別段気張ることもなく参加したように思う。それでいて参加してみるとそれなりに楽しむのが私の主体性の無さだ。

 久々に再開した日記で嶋さんの次に出てくる固有名詞がハマちゃんだ。当時の私が失った嶋さんの代わりを探していたといった道化にも似た気持ちでいたことをもはや隠すこともない。単純に考えて代わりなどいるはずがないのだし、そもそも自分で決意して縁切ったわけなので、ハマちゃんのことも全ては日記の上でサイコロを転がしているだけに過ぎない。まあ事実として当時の私にとって最も身近にいた女性がハマちゃんだった。


 何故かこの時期、私は住吉に手紙を書いた。その事実は覚えているのだが内容までは全く想像もつかない。間違っても愛の告白ではないが(笑)、周囲の心配をよそに無邪気にしている彼女を諌める目的だったと思うので、おそらく受験のことだろうと思う。だいたいそんなことは周さんがすでにやっていることだったろうから、全くもってでしゃばりなだけだ。私が手紙を書いたことについて住吉自身が周囲に吹聴しているのは気に入らなかったが、それを聞いたハマちゃんが羨望の意を私の目の前で表明するのはすでにお決まりのような彼女らの行動だった。そのたびに私は苦笑いするしかなく、珍しく周囲の目を気にする瞬間でもあっただろう。親しみをこめてくれるのは結構だが、私自身にとってはありがた迷惑な話だ、くらいにしか感じていなかった。
 もう彼女らにはじめて会った頃からなので2年ほどだろう。そろそろ私の堪忍袋が破裂しそうである。彼女らが私の外見をお気に入りなのは分かっていたし、イヤな言い方だが、彼女らに会う前からそうだったのでそれを持ち上げられることにも慣れていた。ただ彼女らの不幸は、私とある程度の長期間を同じ環境で過ごした点にあるだろう。私に彼女ら自身について考える時間を与え過ぎた(笑)。こんな風に考えてみたところで、結局は相手を本気で窺う気持ちに欠けているのである。ある程度のところで一線を引いて何人にも入り込ませない領域を作っているのは自分である。上面だけを平静装って窺いあうことで何が分かるというのか?
 

 そんなことを感じつつも場の雰囲気でどうにでもなる気分屋の私は、七夕祭りで終始ハマちゃんに腕を組まれたりしても気にしないで、したいようにさせるのだった。実はそれほど満更でもない気もあったが(笑)。



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