危険域。 Master:(c)夏目

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2006年01月16日(月) ■
母校について真剣になって考えてみた









 卒業した立場でできることは限られていると思う。
 まして今の生活やバイトなどをないがしろにしてまでする問題かと言われると思う。

 けれど、自分にとって高校時代というものは多分、周囲には想像できないくらい濃密な時間だった。

 例えばそう、運動部が県大会を勝ち抜き全国大会を目指し、さらにそこで勝ち続けて途中敗退、じゃあ次は来年だ、そして最後の年だ、と情熱を注いだような時間。

 ひとつのことに情熱を注いで、それこそ泣いて笑って怒って喜んで、そんなことを繰り返した三年間だった。

 青春と言われればまさにそれだろう。絵に書いたような青春時代だった。

 忘れたい関わりたくないと思っている人は多いそうだ。
 けれど自分にそれはできない。学校が好きだからじゃない。学校で過ごした時間が好きだったからだ。

 元からある学校ではなく、自分達で作った“学校生活”が楽しかったからだ。


 うちの家の人間は誰もそんな時間を過ごしていない。
 そうやって時間を作ってこようとしてもいない。
 だから誰にもわかってはもらえない。

 けれど、やはり自分は高校時代がとても好きだった。楽しかった。




 なので、現状を聞くと頭を抱えたくなる。当時から考えてさらに悪化しているあの状況を打破するためにはどうすればいいのか、それを考える。



 母校名で検索するとそれこそ面白いくらいに情報が出てくる。
 そこでみる情報と後輩から聞く情報、自ら得る情報にほとんど差異はない。
 多く議論されているのは「トップが悪い」ということだけれど、それはそうじゃない。
 支える側が悪い。
 うちの高校は北朝鮮に似た制度であり、けれど違うものだ。
 理事長に判断能力などない。彼はただ、コドモのように権力を振るいたいだけだ。
 そうでなければあんな頭の悪いことをするわけもない。(一度精神鑑定を受けるべきだと真剣に思うほどにピーターパンだ)
 その頭の悪いコドモのままの理事長を、奉って奉って踊らさせて甘い汁を吸う幹部連中が悪い。
 仮にも教師という立場なのであれば、デキの悪い人間の長所を見出し真っ当に教育すればいい。気づかせてやるべきだ。
 それができないからどんどん腐る。
 一緒に沈んでいく。

 浮かび上がりたい人間は外の世界に出て行くしかない。
 一緒に沈められない人間も外に出すしかない。





 高校の内情を話すと「まるでドラマのようだ」と言われる。
 自分でもそう思う。
 控えめすぎる内情説明でも同上だ。

 深く突っ込んでいくといっそ笑いがこみ上げるだろう。そして誰も信じはしまい。

 巨大な私立経営ならばこうしたことがそれなりに起こっているのかもしれない。

 けれど母校はそれは規模の小さい貧乏私立だ。
 どうしてこんな狭い庭で戦争が起こるのか理解しがたい。
 理解しがたいが理由は明瞭だ。金と、権力。そのひとり遊び。

 正義感だけで生きていけるわけではないから「生徒の気持ちを考えて!」「いいひとばかり辞めていく!」という訴えなど全く意味を成さない。
 具体的に違法性のある事柄についての論議は有意義だろうけれど、個人的意見に対する議論は感情論でしかない。
 冷静になって物事を見つめるというのはとても大変なことだ。



 話がとんとん飛び回る。




 ではこの問題について、具体的にどういうことができるんだろうか。
 どうせなら法律関係の学科に進むべきだったんだろうか。
 それとも同じく教師を目指すべきだっただろうか。
 でも高校生活の中で決して教師にならないと思った。




 できることは限られているだろう。

 感情的にならないようにするのは大変だ。

 では一体何ができるんだろうか。


 具体的に動こうと思っている人間はいるのかしら。










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