今年の新年 - 2007年01月08日(月) あまりの激しい嘔吐ぶりに、帰宅した同居人ですら驚く。 夜中でも、思い出せば吐く。 心配したのか、高校時代からの友達と会う事になる。 その後、オヤジから電話を貰った。 頑張って話す。 正月も顔も見せないでどうする!? 全くを持ってその通りなのだが、言葉が上手く出て来ない。 半絶叫に近い怒鳴りあいの様な会話をした後に、トイレで嘔吐。 同居人はキッチンで昼ご飯を作っていた。 こんなにお父さんが大好きなのに、なんで解ってくれないんだ。 そして、どうして行けないんだ、話せないんだと嘔吐しながら 号泣した。 顔面蒼白のまま、トイレから出てくる。 同居人が、「怒られた後の悔しがりの子供みたいだぞ。 友達に来て貰えば?」 そう言ってくれたので、上野で遊ぶのを変更して 自宅にわざわざ来て貰った。 3人で昼ご飯を食べて、生々しい左手の傷は消える事もないままに 近所の会社員時代の友達から電話。 「コート忘れてんぞー」 「友達来てるから、3人で遊ばない?」 (同居人は、この後、デート予定なのでお泊まり) そのまま、高校時代の友達と、会社員時代の友達と3人で遊んだ。 そして、そのまま会社員時代の友達の家に、高校の友達と泊まる。 その間も、情緒不安定は消えず、吐いたり、黙ったりの繰り返し。 「オレさ、やっぱり、スジが通ってない事嫌いなんだ。 オヤジさんだって、心配してるの解るんだよ。だから行こう。 オレ、バツイチだし、娘もいるだろう?そのままじゃダメなんだよ 明日、3人で実家に行こう。 二人でフォローもするし、ユカリが間違えてれば、それも指摘するし じゃないと、何も変わらない気がするから。」 嘔吐し、震える身体を二人にさすられれ、朝、実家に電話する。 電話した後の、緊張は続き、嘔吐と震えは止まらないまま 二人に支えられる様にして実家に行く。 玄関を開けて、直ぐに嘔吐。 拒絶反応が続く中を二人が取り持ってくれる。 今回、どうしてこうなったかを、単語を紡いで話し始める。 左手の袖をまくりあげる。 一生懸命になって親に訴える。 言葉が繋がらない。 震える。 友達がフォローする。 それでも単語を繋げて話しをする。 最後には、友人を交えての談笑と食事になった。 ようやく笑えて食べれる様になった。 そもそもが、私が風俗で働いている事に問題がある。 その癖、親に甘えている。 心配をかけないという名の名目で、 お父さんに遊んで貰えなかったという言い訳で 一番、狡い事をしている。 そして、こんな風に友人から同居人、周りの人間を巻き込んで 今に至っている。 改善しないと、そう思う反面、出来ない自分を責め。 ただ、責めればまた無理が生じる。 ようやく解ってきた。 だから責めない。 ただ、少しづつ改善しないといけないとは思う。 -
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