2007年10月21日(日) |
川崎市の「共生」施策の破綻、見えたりー「公権力の行使」の偽り |
皆さんへ
今日、東京新聞・川崎支局から取材の連絡が入り、早速、会いました。 川崎支局に来て2年になる記者ですが、どのように取材内容を記事にして 報道してくれるのか、期待したいと思います。
さて、今回はぶっそうなタイトルをつけました。人事課から「運用規程」の ヒアリングをして、その報告をブログにあげましたが、もう少しやさしく、 整理して問題点を報告します。
1.川崎市がなんといっても全国的に名を馳せたのは、「門戸の開放」です。 この実現のために、市当局、組合、市民運動体は政府見解である「当然の 法理」に抵触しないように協議して、市当局が中長期の職員の合理化対策 の位置付けの下、「運用規程」を作成して外国人の「門戸開放」を実現しました。
2.「公権力の行使」と「公の意思形成」のために、政府見解は、公務員は 日本人でなければならないと言ってきたので、川崎市は職務判断基準を 設け、「公権力の行使」に対して川崎市の独自の見解を出しました。 ⇔これが「川崎方式」です(問題点が明らかになったので、どの自治体も 追随していません。どこか「運用規程」を作ったところがありますか?)。
『命令・処分等を通じて、対象となる市民の意思にかかわらず権利・ 自由を制限する職務』(公権力の行使)、を外国籍公務員に制限し、 同時にその分野に関連する課長以上の昇進を禁じました。
3.これまで市民に立入り検査・命令・強制執行などの「公権力の行使」に 関る職務は法律に基づいてなされるものだから、その執行者の国籍は 関係がないという主張まではしてきたのですが、昨日のヒアリングで以下 のことがわかりました。
●現場の「公権力の行使」の執行者は、自分の判断ではなく、必ず、 上司の決裁を得るということです。課長以上、部長、局長、市長の決裁 (承諾)を得て「公権力の行使」を執行するのが、組織運営上のルールです。 このことは、現場の執行者は自分の判断でなく、上司の許可をもって 「公権力の行使」にあたる仕事をするのであって、現場の職員の属性、即ち、 国籍は一切、問題にならないということを意味します。現場の職員は上司の 命令に従うのみです。命令に従う者の国籍がどうして問題にされるので しょうか。まさに、川崎市の「共生」施策の破綻、見えたり!ではないですか。
4.確認すべきは、「公権力の行使」にあたってどのような案件は課長で 決裁できるのか、部長、までいくのか、或いは、局長が決裁することに なっているのか、あるいは、市長が決裁するのかという、川崎市の組織 運営上の決まりごとです。これは必ず、文章化されているはずです。 そうでないと巨大な組織である行政は成り立ちません。この文書の提出を 次回の直接交渉で求めようと考えています。
5.「公の意思形成」に関しては、これまで論議されていませんでした。 「公権力の行使」に関しては川崎独自の解釈を提示したのですが、これは 「市政の重要な課題等についての意思決定に係る判断は、ラインの局部 課長職が実務的に行っている」、だから外国籍公務員は、「公の意思の 形成に参画」することになるラインの課長クラス以上にはなれない、と説明 されていました。しかし今回、「運用規定」の見直しでわかったことは、 ラインの課長は「公の意思形成」に係るような重要なことは、全て上司の 決裁をとっているということでした。即ち、ここでも、担当課長の国籍が 問われることはなく、責任は上司(部長、局長あるいは市長)がとるという、 組織運営上の仕組みがあるということです。
さあ、これでますます次回の直接交渉が楽しみになりました。
崔 勝久
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