| 2006年03月02日(木) |
金敬得氏を追悼する 朴鐘碩 |
2月26日、「金敬得さんをしのぶ会」が行われました。会には約600人が参加して、氏をしのびました。
当日参加できなかった朴鐘碩さんから追悼文が寄せられましたので、以下掲載します。
上田
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今日、金敬得氏が働いていたJ&K法律事務所に行ってきました。 彼が使っていたOfficeに笑顔の写真が置かれていました。 献花したあと添付の追悼文を読み、花の上に置いてきました。
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金敬得(キム・キョンドク)氏を追悼する
2月25日に開かれた「金敬得さんをしのぶ会」に出席できず、申し訳ありません。 新聞記事を読み、金弁護士と出会った若き20代の頃を懐かしく思い、追悼文を書きました。
金敬得氏との出会いは、金氏の在日韓国人へのメッセージとなった「提言 2.差別克服運動の展開」に書かれていますが、日立就職差別裁判の判決後間もなくだったと記憶しています。
貧困家庭で育ち、苦学しながら司法試験に合格したにも関わらず、韓国籍を理由に弁護士になれない怒り・悔しさを語っていました。
地域活動の拠点となった川崎教会で迷える羊(青年)たちと生き方を話し合ったこともありました。その後、会う機会もなく月日が流れ、金氏は人権弁護士として活躍しました。
日立で働く私は、5年後胃潰瘍で一ヶ月入院することになりました。裁判勝利したものの職場で民族差別を訴えることもできない、仕事に没頭するだけの弱い人間になっていました。多忙な金弁護士と新宿の居酒屋で会い、職場の状況を話し「苦しいことがあっても職場(日立)を辞めないように」励まされたことがあります。
日立判決から20年経過したにも関わらず、都職員の保健師である鄭香均(チョン・ヒャンギュン)さんが国籍を理由に管理職試験受験拒否され、青島知事を相手に東京地裁で係争中であることを知りました。
弁護団の一人である金弁護士は、都の国籍による受験拒否は明らかに民族差別であり、その違法性を訴えました。
その頃、川崎市は、採用した外国人に行政中枢部の182職務、許認可権ある管理職に就かせないという、差別前提で国籍条項を撤廃しました。労基法3条に違反する「外国籍職員の任用に関する運用規程」を完成させ民族差別を制度化しました。この「運用規程」は証拠物件として法廷に提出されたと思います。
金敬得弁護士は、鄭香均さんの公判で日立裁判とその判決文を引用しました。 最高裁法廷で「原告であった朴鐘碩君が傍聴席に座っている」と語り、日立闘争が生きる支えになったと胸を張って陳述し、人間として生きる自信に満ちたその言葉が今も脳裡から離れません。
裁判長の牽制に抵抗し声を振り絞って、鄭氏が提訴したこと、帰化せず韓国人弁護士になったこと、日立判決の意味を15人の裁判官に強く訴えていました。 金敬得氏が人格を破壊する(民族)差別の不当性を訴えた、私が見た最後の姿でした。
しかし金敬得氏の支えとなり、市の人権施策の発端となった日立闘争の歴史を、川崎市は人権資料から抹消しました。
改憲を主張する阿部市長の「準会員」発言、「運用規程」が象徴しているように、権力者は外国人の権利を二級市民として制限し、権力を鋭く批判すれば徹底的に異端者を排除します。
さらに20年以上自衛隊員募集を中止していましたが再開し、市の正面玄関に侵略戦争、天皇制を象徴する国旗を常時掲揚するようになりました。 アジア侵略戦争の反省と責任を明確にしない日本が再び戦争する右傾社会になりつつある今日、その社会で生きる外国人の人権が優遇されたり緩和されることはありません。
金敬得氏が帰化せず弁護士の道を切り開いたように、人権は上から与えられるもではなく犠牲を怖がらず生き方を賭けて勝ち取るものである、と歴史が証明しています。
日立闘争から35年経過し、企業社会で体験したこと、労働者の権利と(民族)差別、川崎における「共生」の実態と人権運動のあり方について金敬得氏と再会して、ゆっくり話し合える時期が来るのではないかと期待しました。
しかし、・・・・・生きている間に話したいことがありました。 人間は死を免れない運命にあります。私もいずれ金敬得氏の隣に行きます。その時にお会いしましょう。
「しのぶ会」会場の全電通ホールは、32年前、「日立就職差別裁判完全勝利集会」が開かれた記念すべき場所です。当時、糾弾闘争の現場となった東京・丸の内にあった日立本社は、「献杯の場」となる会場の隣に移転しています。
金敬得氏!安心してください。私は人間性を否定する同化、抑圧に抵抗していきます。
先駆者として韓国人弁護士への道を開き、人間性を破壊する差別と最後まで闘い、人権の尊厳を訴えてきた金敬得氏、お疲れ様でした。 今後、更なる活躍が期待されていた金敬得氏の功績、意志は後輩たちによって受け継がれていくと思います。
安らかに眠ってください。御冥福をお祈りします。
朴鐘碩(パクチョンソク) 2006年3月1日
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