アルテミスの日記
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2012年01月30日(月) 誰かに伝えること

誰かのために 伝えたい言葉があるとき
私が心がけていること・・・
きっと もちろん 私のしていることだから 抜けまくりで 人を 傷つけたり
いやな目にあわせているかもしれないけれど
(そういう事実があるなら 本当にごめんなさいね)
それでも 心がけていることがある

どんな素晴らしい内容のメッセージであれ 相手の目線に立って 伝えようとしなければ
相手は受け取れないって事

伝えたいと言う想いがある以上 伝えるという事をする以上は 
相手への共感なしにそれを伝えることは不可能だって思うんだ
伝えたいってことは・・
自分と相手との違いを伝えることでもあるはずだから
共感する部分を持ち合わせなかったら 持とうとしなければ・・
相手は 自分を否定された思いだけ
強くなって 傷つくだけだったりする
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あなたはいきなりさらりと違うと言われて
たやすくその誰かを信じられるだろうか? 心開いてメッセージを受け取りたいだろうか?
しかもそれが あなたにとって 本当に 痛む場所だったとしても?

そういう人も要るだろうけれどね・・ すくない・・と思う
人は生き物 温かな想いがどこかに 見え隠れする強い言葉でない限り
あなたは心を閉じその人から逃げたく思うのではない?
むろん 否定されて 目の覚めるような思いで 引き込まれるような
そんな状況もある・・
それは特殊なケースだと 私は思う


アドバイスの中に含まれている相手を思う気持ちは 置き去りにされる
それでも いいという人は少ないと思う
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受け取れないのはその人の自由と言う前に
自分がどれだけ 相手に 伝えようとしたか・・ということ 大事なんだって私は思う

共感しながらだけでも伝えきれないこともあって
でも そう言う事柄を 伝えて生きたいなら なおさら 相手の生き方を
理解すること・・  そうして 信頼関係をえずして いきなり 伝えたところで 良い結果は生みにくいだろう

治療するよと伝えもせず 相手の傷口にいきなり触れたなら
相手の反応はどうだろう?

痛いよね 辛いけれど ごめんよ痛いね 今から消毒するよ 
今から 薬を塗るよと
声をかけるから 皆 傷口に触れさせると思うし
相手が医者だったり 身内だったりして 信頼しているから触れさせるよね

治療とわかっていても 痛い いやだ があるはずのところに向けて
傷に触れるにしても 相手がコチラを理解しているという前提があるから
耐えてくれるけれど 耐え切れなくて 身をよじりそうになることだってあるんだ
そして 痛みに耐えてでも 相手に触れさせられるという 信頼・・
その信頼も一兆速で作られるものではないだろう
人は自分を理解してくれない人間に 心開くことなんて出来ないから・・

くだらない たいしたことない傷と 手当てされても不承不承我慢できるのは
それが たいしたことではない傷だと 経験があるか
相手への 信頼が成り立っているからに違いない

痛みに耐えかねて 声を上げたり 身をよじりそうになる人に向かって
それを 堪え性がないと ばっさり切る人は少ないと思う。


相手と自分が違っていることは 素晴らしいことだと思う
それは 相互理解によって その人の心が広がるから・・
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その違いを理解したいと 思わなければ 成り立たない関係
どちらかだけの 暴投でも 相手の怠慢でも 相互理解は生まれない
早すぎても 遅すぎても ゆるすぎても 難しい

相手がまた 良い玉を投げたいと思うようなボールの取り方も必要だろうし
どんなボールが取りやすいかを伝えることも時には必要だと思う

ボールを投げる側も ボールを受け取る側になることを 忘れないでいること
受け取る側も 投げる側になることがあることを忘れないでいること
これ一つで 心が通い合う世界を広げることが出来ると 思う

だから・・じゃないけれど 結構 子供に関わる仕事は 楽しかった
難しくて 大変で 辛いことも多かったけれど 本当に 楽しかったなと思う

でも そういうことって 教育の現場だけじゃなく ブログでも
家庭でも 親子でもあるね

私の コメントが 遅れるのも あんまり 余裕のないときに 返信して 不用意な発言を
したくないから・・と コメント返信の遅延の言い訳をしたいための 記事じゃないんだけれど
えへへへ・・・


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