ダンディズムスケジュール
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昨日は春田さん関根さんが立ち上げている劇団スケアクロウズを観劇してきました。今回は智恵子抄で有名な高村光太郎夫婦の物語りと言うかドキュメントと言うか当時の二人に的を絞った話でありました。ここに所属している熊谷美香さんは以前醜団リンチの初回肛門時代に出演して頂いている。それとニ度目の肛門時代とボクサーちんぴらに出た吉沢きよも出演していた。
話は分裂病で旦那である光太郎を忘れた智恵子と春田さん演ずる光太郎が君の旦那は僕だよといった展開で夫婦でありながら夫婦を確認出来ない関係のなんとも複雑になってしまった・・・あーーーーーっ説明出来んっ! しかし春田さんは役者だなぁ〜としみじみ思わせてくれた作品でした。
なにが良いかというと余白の演技であります・・・台詞の前、そして後・・それが出来ているから、台詞を演じているのではなく生の言葉として存在し見ている僕に言葉の観念ではなく、人間の模様を感じさせてくれるのです。
しかし言葉に支配されている役者は多い・・・最近の(自分も含めてだが)芝居を見ても作品の見る目、客観は出来ても主観をもって役を作品に提供できる役者がいない・・特に芝居は人間が人間をみるしかも生で見る唯一の表現媒体だ・・・ビデオでオナニーするわけではない、生の人間を見て感じる訳だ。だからにじみ出るものがなければならない・・・男も女も性器からにじみ出るのだ・・・感じる心で、感心・・・感じて動いて、感動・・・ 狂った気になって、狂気・・・全部自分で動くのだ観じるのだ、それが主観をもって演じるということかな、よくわかんなくなって来たけど・・・
そういった感覚の揃った作品が文化となり文明となるのだと思う・・・ 今日は追っ掛けの引用ばかりさせてもらうが文字が化けて文化、文字が明けて文明・・・作品が根底にあるのだ。その作品を化かすのも明かすのもそれにまつわる人間の力だと信じる・・・
よってなにが言いたいかというと・・・その片鱗を春田さんは見せてくれたし、昔見た状況劇場にもあった、つかさんの芝居もあった・・・今の僕達は総なんちゃって文化の巣窟なのだ。
だから大人になるのだ・・・ある意味・・・
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