Spilt Pieces
2010年06月16日(水)  悪意・善意
昨日の夕方、久々にとある友人と電話で話した。
かれこれ8年、精神病と闘っている。
最近ようやく改善に向かってきて、
今はデイケアに通っている。
とても頭が良くて、驚くほど優しい。
病気云々が分かる前から、ずっと親友。
彼女のおかげか、精神病に対する抵抗感は
比較的少ない方だろうと思う。


そんな彼女は、一緒に治療を受けている人たちの
悩み相談を聞くことがとても多いらしい。
「びっくりするような人もいるんだよ…。
話聞きすぎて苛々することもたくさんあって、
本当に私の治療になっているのかと疑問に思うこともある」
友人と思って話を親身に聞いていたら
ストーカーまがいのことまでされたらしく、
もうそんなところ通うのやめたらと何度も思った。


けれど、昨日電話で話をしたときの彼女は、
あっけらかんと笑っていた。


もちろん落ち込むこともあるけどね、
ストーカーっぽい人からは今も連絡あるし、
干渉してくる人もいる。
でも、放っておけばいいやって思えるようになった。
働きたい、って思うから、今は頑張って通うよ。


それだけでも、おおっと思ったのだが、
色々と話をしていくうちに、最近は一人でお酒を飲みに
お店に入ることもできるようになったよと話すので、
(もちろん私はそんなことはできない…そもそも
基本的にあまりお酒は飲まない)
一体一人でカウンターへ行ってどうする?と尋ねた。
すると、近くにいる人と話をするのだと言う。
色んな性別・年代・立場の人がいて、色んな人の人生が
少しだけ見えて、触れられて、すごく楽しいよ、と。


今も彼女は気分のムラがある。
そういうときは彼女も周りに迷惑をかけないようにと
連絡を絶ってしまうので、実際は怒鳴られたり
叫ばれたりしたことはあまりない。
せいぜい号泣しながら電話をしてくるくらいだ。
でも、それにしても、今までにない言葉を聞いた。
驚いた。
嬉しくて泣きたくなるほど、回復してきている。


人の悪意を疑うことはしないのね、と聞いた。
すると彼女は、疑っても仕方のないことは疑わない。
それよりも善意を信じていられる方が幸せだから。
そんなことを言った。
頭を殴られたような気がした。
もやもやと、人から投げかけられる言葉を疑い、
そんな自分にうんざりしながらもどうしようもなくて、
苦しい苦しいと嘆きながら日々を過ごしていた最近の自分。
やっぱり、すごい。


いつも、いつも、彼女には頭が上がらない。
夫は、落ち込む彼女の話を延々何時間も聞いている私を見ては、
さとは優しいのだねと勘違いをするが、
実際は、私が彼女に教わることばかりで、
尊敬するばかりで。
病気があるとかないとかではなくて、
友人でいられるかどうかは、相手を尊敬できるかどうかだけ。
病気ではないからといって、友人にはなれないし、
病気の人みんなと仲良しというわけでももちろんないし、
彼女が彼女で、たまたま病気で、ただそれだけだと、
夫に言うと、そこまで思える友人がいることが羨ましい、と、
目を細めて言う。


以前彼女は、「病気であることは恥ずかしくない」と言った。


強く強くあることで、誰かを知らぬうちに傷つけたり
悲しませたりするような、感情の分からない人間であるよりも、
誰かの痛みに共感して泣いている自分の方が好きだから。
だから、痛みを、全く同じではないからあくまでも推察だけど、
他の誰かの痛みを感じることのできる私でいられることは、
恥ずかしいことじゃないし、いつか、病気と共存できればいいと、
それくらいのことを思っているから、私は大丈夫、きっと。
今はポジティブなことを言える。
でも、また明日落ちてしまうかもしれない。
それでもね、さと。
私は、もしも強さと引き換えに誰かを傷つける自分になるのなら、
ずっと病気のままでも、苦しんでも、それでもいいと思っているんだ。


私は、彼女が荒れたとき、正直、たまにうんざりする。
同じ話を繰り返し、同じことで泣き続ける。
どうせあなたには分からないと言う彼女は、
いつも私が尊敬し、愛してやまない彼女とは
およそ別人のようにも見える。
でも、少しずつ、少しずつ、そのような時間が減ってきている。
笑いながら、びっくりするようなことを言う。
例えば昨日のような。


善意を信じた方が幸せ。
そう話す彼女との電話を切った後、
義母に電話をかけた。
昼間着信があったのだが、何となく、
出るのが嫌で無視してしまっていた。


出られなかったことへの適当な言い訳をつけて、折り返す。
「暇だったから、ちょっとお喋りしたかったのよ、ごめんね」
そう言って、電話の向こうで嬉しそうな声が弾む。
私がなかなか朝起きられないことを話すと、
私も若いうちは夜更かしばかりだったから辛かったわと笑い、
アレルギー症状が出て薬を飲んでいることを話すと、
私もアレルギーだから辛さは分かる、無理しないでねと言われた。
義母は亡き義父の父母…つまり義母にとっての義父母の面倒を
一人で見ている。しかも、一人は痴呆で要介護状態。
今の家の状態ではなかなか自分のしたいことなどできなくて…
とは言うものの、その面については手伝えと言われたことはない。


今度、遊びに行ってもいいかしらと言われたので、
思わず「たまにはストレス解消も大切ですよ、
おいしいお店を探しておくので、ランチしましょう」と誘ってしまった。
適度な距離を保ちたい、と、頭で考えては頑なに拒否してきたが、
どうしてだろう、友人と話した後だったからだろうか、
昨日は、言葉の裏を考えるのをやめて、
とりあえず、思ったままを言ってみた。
「すごく嬉しい、楽しみにしています」
弾んだ声で話す義母。


帰宅した夫に話すと、「さとはあほだな。
自分で距離を置くと言いながら、結局そうなるんだから。
辛いと思ったら、無理しなくてもいいからな」と、
言葉では言いながら、とても嬉しそうで、穏やかな顔をした。


「地域全てがもし考え方や生き方を押し付けてくる敵だとしても、
俺は絶対に味方でいるし、それに、おかんのことも、
さとにとっての敵ではなくて、味方にしてしまえばいいんだよ。
考えすぎずに、できることだけやればいい。
素直でいれば、きっとおかんもさとのことを大切に思うし、
さとが悲しむようなことはさせないし、守ってくれると思うから。
おかんと電話をしてくれて、どうもありがとう」


たった一回の電話で、たった一回の穏やかな会話で、
解決するほど簡単な問題ではないし、土地でもないけれど。
そのまま電話を無視しなくてよかった、とだけは思った。
「悪意を疑うより、善意を信じた方が幸せ」
苦しみ続けた友人が、ようやく自ら辿り着いた答えを、
言葉で聞いただけの私には、なかなか心から信じることはできない。
でも、そう思える日が少しでもあることは、幸せだと思う。
ありがたいことだと思う。
本当に。
本当に。
信じた善意が裏切られたときに、初めて悪意を疑えばいい。


大丈夫、自分の人生は一度きり。
笑うために一時的に逃げることは、逃げじゃないよ。
逃げている間に、何かに気づけばいい、次を考えればいい。
かつてそう言ってくれたのも、その友人。
恵まれている。


落ち込んでもいい。
でも、落ち込んでばかりじゃ勿体ないよね。
そう思わせてくれた友人の善意は、
心の底から信じたいと思います。
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