| Spilt Pieces |
| 2002年05月22日(水) 言葉 |
| いつだって、思っていることを話していいのか分からない。 他の誰でもなく、自分が許してくれそうにない。 そして思ったことを思ったままに表現できるだけの力もない。 敢えて言おうとしたところで、私はきっと嫌気がさすだろう、中途半端なら最初からするな、と。 表現しきれないものを表現しようとするときのリスクは、形なくとも真実として存在していたはずの感情を、自分自身が歪めて認知してしまう可能性を含んでいる点だと思う。 だが、私は口を開かずにはいられない。 無謀な挑戦ばかりしているのだ。 なぜなら私には、感情がある。 抑えるばかりで処理しきれるような自分でもない。 しばしば文章力のある人が羨ましくなる。 いつだって心で思ったことの多くは、表出させるときに歪められ、話す相手がいるときは受け取られるときにまた歪められる。 会話とは、滑稽だ。 ある意味、誰もが本当の会話をすることをできていないように思う。 そもそも、言葉というものが曖昧な存在だ。 それなのに、手っ取り早く、他に頼るものをなかなか見出せないでいる身としては、その曖昧なものに寄りかかってしまっている。 だから難しいのかもしれない。 人と人を繋げるすべも、自分と対話するすべも、私は知らない。 人間関係というものが難しいのは当然だ。 私は自分との関係すら未だに安定させられない。 日本人はよく「口で表現できるものばかりではない」といった言葉を口にして、それに表れているような曖昧さは批判されることもあるが、私は嫌いじゃない。 言葉は必要だが、それに頼りすぎるのはよくない。 そしてこれらのことは、言い訳でもあるのかもしれないが。 話変わって。 表現できないが、今抱えているのは「虚しさ」 自分の怠惰さ。 それを招いている、日常における興味の欠落状態。 どうすれば何か一つのものにこの身を預けられるのか、知らない。 きっと私は基本的に臆病なのだろう。 開き直り。 そしてそれは単なる例示。 虚しさの原因は、もやもやと存在している。 表現できない。 哲学の講義は私に知識を与えてはくれたが、言葉は自分で探すしかないのかもしれないと思った。 また何かがこみあげた。 |
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