2003年10月31日(金)  実のなる木。
 
「実のなる木を書いて下さい」
 
心理検査室。テーブルをはさんで引きこもりの少女。少女の目の前に数本のペンとクレヨン。バウムテスト。僕はネクタイを締め直して白衣の襟を整える。緊張しないように。この緊張感をクライアントに伝えないように。
 
「あの子に使えそうな心理バッテリーはないかな?」
 
数日前、院長に話し掛けられた。病棟回診の後ぼんやりと立ちながら今夜の飲み会のことを考えていた僕は一瞬不意を付かれた顔をして、すぐに普段の顔に戻した。あの子に使えそうな心理バッテリー。引きこもりで相手に心を開かない少女。いつも氷のような表情をしている。
 
「キミは何ができますか?」
「いや、まだ勉強中ですので。長谷川式とY−G検査ならなんとかできますが……」
「長谷川式はあの子には意味がないなぁ」
「田中ビネー検査もできます」
「IQ検査はあまり意味がないなぁ」
「そうですよね……」
「投影法は?」
「あ、バウムテストなら大学で少し……」
「それじゃあ、それよろしく」
「僕がですか?」
「どうにかしてあの子に光を見出してやりたいんだ。キミ実習生だろ。頼むよ」
「いや、僕は福祉の実習で、心理の実習はまだ……」
「医療も福祉も心理も看護も、人を助けることには間違いない。よろしく頼むよ」
「はぁ」
 
院長に変に言いくるめられてしまって、福祉の実習中の僕はこうして心理検査室に座っている。目の前には自閉症の少女。僕と目を合わそうとしない。下を向いたまま何かを考えているようで、何も考えていないようでもある。
 
「実のなる木を書いて下さい」
 
少女は熱い物でも触るように慎重にクレヨンを手に取った。
 

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