2002年12月01日(日)  生と死に関わるジレンマ。
「適応」とは絶えず繰り返されるあらゆる刺激に対して鈍感になること、
或いは、それらの刺激を無意識に閉じ込めてしまうことだと思う。
 
病院という、医療という世界は、人間の不幸、家族の死が、隣接している。若しくは同居している。
この世界に足を踏み入れて数年経ち、僕はあらゆる苦悩と葛藤と諦めを乗り越えて
看護主任という立場を手に入れた。
 
時に残された家族の慟哭を聞き、先立つ人の冷たい肌に触れる。
 
カレーライスに添えられた福神漬けのように人間には常に「死」がつきまとうように。
カレーライスと福神漬けが、ルパン�契い帆�形警部が運命的であるように
人間も決して死から逃れられない。
 
「ルパァ〜ン!オレは地獄の底までお前を追いかけるぞぉ〜!」
「しつこいなぁとっつぁぁん。勝手にしてくれよ。そんじゃあバイバ〜イ」
「待ぁてぇ〜!ルパァァァン!」
 
そしてとんこつラーメンとチャーシューのように
「医」と「死」は密接に、濃厚に関わっている。相互にその味を演出する。
 
「医」の世界では「死」が日常となり、「生」が希薄となる。
「生」が希薄になると共に「死」まで希薄になる。
朝起きて、歯を磨いて、出勤して、弁当食べて、誰か死んで、家に帰って、晩飯食べて、風呂入って寝る。
風呂に入ってる間も誰かが死ぬし、寝返りをうっている間にも誰かが一生寝返りをしなくなる。
 
大事な「何か」が失われ、削り取られ、鈍麻していく。
何が失われているかわからないまま、目の前で日常的に人が死んでいく。
 
そんな僕たちは人の「死」と関わって、「生」を計る。
 
今僕は、「医」を職とする者が必ず遭遇するジレンマに直面している。
 
答えを出す日が近付いている。
確実に近付いている。

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