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去年6月LIVE活動再開 2ヶ月前、ワンマンLIVE 先月、遠藤ミチロウさんとの2マンLIVE 2月1日(土)「BOB'S LOUNGE」という15畳くらいの広さのBARでLIVE そして2月22日(土)の昨日LIVE。
自分の中で ハジケタ物があった。
ワンマンLIVEあたりから、 徐々に風向きが変わり始めていて、 何か感を握り始めていたのは、自分でも わかっていた。
ここ2年弱、仕事の半端ない休みの無さで 全くもってさえなかったが、 ここ数カ月で感を 取り戻しつつあったのは感じていた。
そして、昨日ハジケタ。 これで大きな枠組みで捕らえるなら 俺がハジケタのは2回目。
1回目は23、4歳頃だったか?
10代後半から ありとあらゆる音楽を聞き始め 吸収し、それが自分の中で消化された 曲が生まれてきて、 23、4歳ころLIVEで感をつかみはじめ 俺の曲がLIVEがハジケタ。
最近、その感触に似ている物を感じ始めていた。
そして、昨日。ハジケタ。 曲がとか、LIVEがとかではなく 頭が、空気が、心が表現がステージ上での在り方、居方が ハジケタ。
今の俺が昔の俺に別れを告げたのでは無く 昔の俺が今の俺のところから去って行った。 す〜っと、消えて行った。
もっと早く、ハジケタかったが、 今だから徐々に徐々に芽生えて来てた物が ハジケタのかもしれん。
また、もっと早く気付いていたら 凄く変な勘違いをしてたのかもしれん。
曲、大事。 詩、大事。 リズム、大事。 勢い、大事。 音、大事。 それは当然。
昔のハジケは心の中に 「すげ−だろー、この曲」っていう、ある意味とんでもなく 大切な気持ちだが、その中でのLIVEであり 自信がある時は、自然と輝く。だが壊れやすい。長くは続かない。
昨日のハジケは 表現していく上で、見る側と見られる側と いうところで、 何を発するかというところで お客さんがいる、という事は ステージを見られる、という事は、 凄く重たい物が見られる側の人間には のしかかってくるんだ。
それをバリバリの勢いで23、4歳の俺ははねのけてた。
だが昨日のハジケはちょっと質が違った。 重たい物と向き合うと言うか、なんといえばいいか いずれにせよ、何かとても、重要な物をつかみ始めた気がする。
28歳にして、始まり出した。
これは一言では言えない、 なおかつステージ(音楽に限らず自分のステージ)に立って 頑張ってる人、目指してる人、同士の会話でしか広がらない、気付けない 見られる側の感情なのかもしれん。
でも喋りたい事が沢山あるようで 実は無いのだ
なぜなら 見られる側はステージで表現するだけだから。
表現と言っても、演じるのとは違う。でも演じる。 その、難しさ、頭でわかっても、考えても、どうにもならない。
大好きな気持ちで頑張ってれば 昔の自分が「もう、俺必要ないね」といって 去っていってくれるんだと思う。
それは恋人との別れとは全く違うし それはとてもドラマチックに劇的に 自分の心の中でだけ繰り広げられる 素晴らしくもあり残酷な物語。
最後に昨日のLIVEで 最後の曲、弦が切れたのは仕方ない、 良い時は、そんな事気にしないが 切れた弦に引っ掛かって、 ピックも落ちたのは、ちょっと焦ったが ま〜、 全てが全て上手く行くわけはないな〜。 と、つくづく痛感した。 でも、それはそれで、おもろかった。
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